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以下、第II章で、調査地域について多少の説明を補足した後、第III章で、当該ツーリズムの地域における外観的変遷から通史を記述し、おおまかな流れを諸段階に分けて把握する。第IV章では、概ねIII章で区分した段階毎に、旅の成立や行動に関与した背景要因を抽出する。第V章で、一般論におとせる部分について論じ、第VI章で、総括する。

 

II. 対象地域

地域の交通は、苫小牧から様似までJR日高本線があるが、車への依存度が高い。冒頭述べた国道(235・336)が幹線である。馬産地のほぼ中央に位置し、取引市場はじめ馬産関連の主要施設と日高地方の商業的中心地区を併せ持つ静内町へは、新千歳空港、あるいは苫小牧港(フェリーによる上陸)から、約2時間のドライブである8

観光資源は、襟裳岬、様似アポイ岳などの南東部に位置する自然景勝地や、地域内に散見されるアイヌの史跡があるが、いわゆる「観光北海道」にあって、印象が薄いエリアであった(図4・5)9。日高の牧場については、日本交通公社(1972)が、襟裳岬と同じ「B級観光資源10。」と位置づけていた。しかし、これは岬へ向かう車窓風景としての評価であり、観光者の「通過地」とみなすものである。自治体などでの認識においても、聞き及ぶ限り、このような見方がかなり長く維持されていたようだ。

 

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図4. 北海道の主要観光ルート(夏季)

松谷・田邊・原(1998)をもとに作成

 

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図5. 北海道のA級観光資源分布

日本交通公社(1999)をもとに作成

 

日高・胆振の両支庁域の海岸は、古く江戸期から、アイヌ民族と渡来和人との交易地区であった。明治以降の内陸開発で日高方面は主領域から外れ、都市の成立はなかったが、静内町市街が日高の物流基地として今日にいたる中心性を築いた11

 

8 地域外部からのアクセスは、札幌・静内・浦河を結ぶ長距離特急バスの運行が開始(昭59末)、日高自動車道苫東道路の厚真までの開通(平9)や、236号浦河―広尾ルート(平10)など改善が進んでいるが、都市や主な観光地との連結性は依然弱いといえる。

9 近隣に小トリップの観光レクリエーション市場となるような都市や、宿泊を多く伴う温泉地区の発展がなかったことが主な要因であろう。札幌から襟裳岬へは、モータリゼイションに先立ち、観光列車(昭34)を皮切りに、日高本線の終着駅様似まで準急が走り、ピーク(昭48)には年間70万人が訪れたが、過去10年は40〜50万人で推移しており、宿泊者はその1割強である。また、観光関連研究における既存文献量も、こうした状況を反映して乏しい。アイヌ観光について大塚(1996)、自然公園についての俵(1977a,1977b,1979,1989)など。

10 日本交通公社(1971)によれば、B級観光資源は「(国際的あるいは全国に誇れる観光資源である)特A・A級のつなぎとして重要な」観光資源。

11 函館からの定期航路(明25〜)、鉄道は大正15年につながった。静内以東の開通は昭和8年以降。

 

 

 

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