インタビュー
劇団カッパ座座長
古市カオル氏
「人形劇を通して子ども達へメッセージを発信」
観客である子ども達が、舞台の人形と共に芝居を創り上げる――。これが劇団カッパ座の原点だ。劇団が独自に開発した目と口が自由に動く、等身大の“ぬいぐるみ人形”は独創的な感情を持って空間に躍動する。
人形の中で動きを演じる「カペット・アクター」(俳優)と動きに合わせて声をつける「ボイス・アクター」(声優)によって創られる人形劇。おもしろさや楽しさに加えて、「責任ある自由の尊さ」を強調する。座長として、設立当初から劇団カッパ座を率いてきた古市カオル氏のもとを訪ねた。
★人形劇の世界へ
数多くある人形劇の中から、古市氏が選んだのがぬいぐるみ劇だった。ぬいぐるみ人形をかぶって劇をするというスタイルは歴史が浅く、研究課題が多く残されていた時代である。そこへ足を踏み入れることに、古市氏は大きな魅力を感じていたという。
「子どもの頃に見聞きしたり、体験したことがその後の人生にとっていかに大きいか、私自身も人形劇を通して、そのきっかけに関わり合いたいと思った」と振り返る。
劇団カッパ座の設立は1968年。この32年間、数えきれないほど多くの苦労を味わったそうだ。けれども、今では全て楽しい思い出だという。設立当初、わずか3名でスタートした劇団は、現在75名もの劇団員が在籍するまでに至る。
★心をこめて演じる
「始めたばかりの頃は、大きなぬいぐるみ人形が舞台に登場すると、子ども達にたびたび泣かれたものでした。見上げるほど人きな人形は、子どもにとって、どんなにか怖かったことでしょう」
たとえ人形が大きくても、子どもの目線に合わせるような工夫が必要だった。子どもの心が少しずつ見えてきて、そのことに初めて気づいた。
「ただ、かわいいだけの人形劇では子どもの心はつかめません。もちろん見た目は大きなポイントにはなりますが、子どもの目線まで下がる気持ちを大切にすれば、子どもは自然と人形に歩み寄ります。言葉で十分に気持ちを表現できないからこそ、相手の気持ちを感じとる力を持っています」
“相手が子どもだから”“人形さえあれば”という考えだけで、喜んでもらえることはないと、古市氏は語る。
「人形劇をする上で、一番のポイントは心の問題。つまり、演じる側に心がこめられているかどうかです。家庭でも同じことがいえます。我が子に対して、“これは危ないからお母さんがやってあげる”とつい甘やかす。親自身が子どものことを心から思っているならば、そんなことはしないはずです。結果的に、子どもが社会へ出た途端、自分からは何も踏み出せないような人間になってしまうことも多いのではないでしょうか」
★失敗を経験して学ぶ
「大阪の毎日ホールで、旗揚げ公演を行った時のことです。演目は『しらゆきひめ』でした。なんと、幕が上がって5分も経たないうちに、会場はまさに運動会となってしまいました」
劇が始まったばかりだというのに、客席の子ども達が会場内を走り回って大騒ぎになった。公演中、子どもと心の行き来が全く感じられなかったという。
「結局、公演そのものが子どもの目の高さまで下がって創られてなかったのでしょう」
今の子どもは集中力が3分と持たないことが多いため、セリフや大道具などの場面設定を次々と変えなければならない。舞台というのはある種、集団催眠のような面を持っているそうだ。
「演劇の組み立て方法としては、子どもに声を出させること、かけ合いが大事な要素になります。大人は料金を払えば、たとえつまらなくても最後まで客席で観るでしょうが、子どもはつまらなかったら、付き合いで観ることは、まずありません。客席の子ども達の騒ぎを消そうと、しまいには舞台の音響を上げてしまうこともありました。そういう意味では、これまで失敗をくり返してきました」
★海外公演の実績
カッパ座は、設立3年後の1971年にブラジル公演を行っている。サンパウロをはじめ、6都市で『パポンの花嫁』を21回公演し、約2万人を動員した。その後もサンフランシスコ、ロサンゼルスなどアメリカ公演を5回行っている。中でも第三回アメリカ公演では『ふたりの王子』『こぶとりじいさん』を14都市40回もの公演を行い、約8万人を動員した。
「海外公演を実現することは、カッパ座設立当時からの大きな目標でした。ぬいぐるみ劇だから、海外公演が可能な面もあります。人形なら、日本人の体型が世界に通用するからです。海外公演では、同時通訳システムを取り入れました」
このシステムにより、人形の耳には日本語の音声が入り、観客席には英語、フランス語など現地の言葉が入るので、即座に同じレベルで表現することが可能になる。
「人形劇は国境、人種、宗派を超えて、観ることができる。ピカソの作品が世界各国で愛されているように、言葉の壁までなくすことができるのは素晴らしいことです。人形劇で世界各国を回り、最終的に日本へ逆輸入させようと思ったのが海外公演を行うきっかけでした」