これなら長期になっても大丈夫―と思えて来た時にはすでに一ヶ月を過ぎており、三月十四日の中学卒業式の翌日には、住み込みの為の門出でした。
「いつでも来いよ、待ってるからね。」
「うん、休みにはきっと来るよ。」
兄弟の様に子供同士で約束を交して、彼は別れて行きました。
その後、彼は一度も尋ねて来てくれないどころか、手紙も電話もないまヽの三ヶ月に、私は思い切ってその店に電話をかけてみたところ、店をやめてしまって行方不明との事でしたが、一緒に生活した日々の事が思い出され、胸の痛む思いでした。
その年の四月二日新学期の始まり日に来て貰えたのは、兄弟のA君B君二人だった。
児相からの身上書やお話で、種々な事情から両親蒸発、兄弟の食事の好き嫌いや性格の説明で、B君は野菜を一切食べない事と、A君は夜尿症が判りましたが、我が子にも時々濡らすのが居り、時には二枚、三枚と布団の地図干しもしたりで、布団の並列干しに「お父さん、里親になって良かった?我が子の気持ちも察してよ。」と中学生の息子から言われて、子供もそれなりに苦労しているんだなと思った事もありました。