「我が子五人でも大変なのに、無理じゃないの」
「父親はいいかも知れないけど、母親は大変ですよ」
「でも、賑やかで楽しいかもね…。」
いろいろな意見が次々と出ました。
「人の数が増えれば苦労も増えるだろうけどみんな、親の無い子の事を考えた事あるかね、親の有るよろこびを分けて上げられるとしたら、こんな素晴らしい事はないと思うけれど…。兄弟姉妹(きょうだい)が増えてたのしいと思えるよ、みんなで仲良くやらせてもらおうよ。」
前会長の私の父と母が話を結んでくれた言葉で、里親実行の意見は一つになり、当時の教会家族は私の子供が中学二年を頭に五人、弟夫婦と子供三人に両親で十四人でしたが、まだ幼なくて里親が何かも判らん様な子までも、兄弟がふえることに、「あした来るの、いつから妹が来るの?」と、はしゃいでいたくらいでした。
登録も出来て、昭和五十七年二月に、「住み込みで就職が内定しているが、事情があって卒業までの二ヶ月程預かってほしい」と、中学三年男子が最初でした。友人関係にも問題があるとの事で、少しは不安な思いもありましたが、明るくて純真そうに見受けられ、話もよくしてくれるし、子供達とも打ち解けている様子で、案ずるより産むが易しと胸をなでおろしたものでした。