断る私に中学の教頭先生はぜひにと一緒について来て下さった。妻には家で待機させ、夜を徹して捜した。帰宅したのは午前四時であった。その間断る私にどうしても一緒に行きますと一緒に捜して下さった中学の教頭先生には今も頭の下る思いで、中学校の先生の大変さが身にしみてわかった。Bは夜十二時半と一時頃電話を二度コールしては切ったそうである。「それはBではないだろう。」という中学の先生に、あれはBに違いないと思っている妻、翌日夕方七時、家にBから電話があった。「JR児島駅近くにいるお金がなくなったので迎えに来てほしい」との事、急いで迎えに行き安どの胸をなでおろしたものである。やはり少林寺へ行くつもり昨晩の電話はBからのものであった。
(11) それぞれの道を
二人はいつしか大きくなったもので、中学三年生となっていた。一年後には、二人とも高校受験が待っている。「高校には行かない。勉強をするということが、どれだけ人間的価値に違いがあるのか。」等と言って進路について私共夫婦と共通点の見い出せない二人の息子も、中学三年生になり、周囲の友達が進学に向けて懸命に取り組んでいるのに気付きやっと高校進学を決めた。