しかし、私の両親の思い入れは大変なもので、これなら途中で投げ出すことはないと確信をもつことも出来たので、里子を迎える努力を開始することとした。
先ず児童相談所の友人に会って話をした上里親登録をした。そして、里子さんに望む条件としては、0歳児の男の子である事と、養子として入籍出来る子供さんである事をお願いした。
もの心つかない0歳児は、その子の成長の全てに我が家で責任を負うことになる。これは大変な苦労を伴うことになるだろうと思うと共に、それでこそ実の親子に近いものになれる事だと思う。「三つ子の魂百まで」と言われる様に、もの心ついてからでは遅いと思う。いずれ養子にと考えるなら、この覚悟が大変重要な事だと思っている。
(3) A君、我家へ
A君は、昭和五十三年七月に我が家の一員となった。それ迄に何回も面会に行き、やっと慣れての我が家ではあったが、A君は泣き声を立てず、我慢していた。しかし、顔は泣いていた。生活の激変に幼いながら耐えているようで、いとおしくて仕方なかった。持ち前の明るさやひょうきんさは、一ヵ月位は失せていたであろうか。