6 2000年6月26日
第31回サントリー音楽賞受賞
―受賞式パンフレットから再録―
贈賞理由
数々の名作・秀作を世に送りだしてきた三善晃氏の初のオペラ「遠い帆」。いわゆる慶長遣欧使節の中核であった仙台藩士支倉常長と、フランシスコ会修道士ルイス・ソテロの2人を主たる登場人物とする「遠い帆」の作曲にあたり、氏はヨーロッパの伝統的なオペラに拘束されない日本独自の舞台音楽の創出を目指し、それを現実のものとした。
1999年3月に仙台で初演、ついで4月に東京で再演されたこの作品は、声楽面では支倉やソテロよりも合唱を重視、合唱が登場人物達の行動の背景を説明する方法を採っている。作品の主題は、「運命に操られた人々」。支倉は初め受動的に自身の運命を受け入れたにすぎないが、スペイン到着後、その運命を肯定的に受け入れ、キリスト教に改宗する。
ソテロは近況後の日本に再度潜入して捕えられ、火刑に処せられる。彼は、帰国してほどなく没した支倉のもとに、殉教者として旅立っていく。
作曲家はここで、叙事的にしてドラマティックな音楽を繰り広げ得たであろう。だが三善氏はそうはせず、支倉とソテロ、それぞれの内なる世界で引き起こされた目に見えぬドラマ−外在する対立ではなく、内在する対立を描き出す。ここに“三善オペラ”の神髄がある。
氏はかつて混声合唱とオーケストラのための三部作、「レクイエム」(1972)、「詩篇」(1985)を書き、声と日本語とオーケストラの3つを、独自のやり方で結びつけてみせた。独唱が加わり、さらに視覚的要素と動きも加わっている「遠い帆」は、三部作とどこかで通じている趣きがあり、デビュー以来氏が練り上げてきた技法のすべてが集約されている。代表作といって少しも過言ではない。
受賞の対象がオペラ支倉常長《遠い帆》だったことから、あることに思い到り、嬉しさが深まってきた。それは、私の書いてきた音楽はすべて劇だった?ということだ。演劇、ドラマ、芝居、そのどれでもいいが、台詞のない、だから言葉にまつわる観念もない「劇」。合唱曲などの詩句も、思惟の身振りのようなことはするが、それがそのまま思想ではない。心も身体のなかにあって、身体とともに仕草をする。そうして音楽は、その仕草でなにかを演じている。そういえば…という思いもある。
子供のとき、タンゲサゼンとターザンの真似をした。小学校ではスモウとケンカが得意で、誰にも負けなかった。中学からはシバイをした。「ドン・カルロ」でエボリ公女というのをやって、舞台でモーツァルトの幻想曲を全部、入念に弾いた(ために上演は4時間を越え、それからは、長い舞台はイケナイと思うようになった)。シバイは大学まで続いた。トンカチを振るい、ノリも煮た。留学中のひと冬を無人の僧院で過ごし、モノ・オペラを書いた。胎児の自殺というテーマだった(中学時代、芥川の「河童」を愛読した)が、未完のままになっている。
すべて身体が、というより、指も含めて60兆の細胞がそのように動きたがるままに生きてきた。心にも立ち居振る舞いがあり、書いた音も、その仕草で現われている。
《遠い帆》は、たくさんの人のお陰で上演できた。いつまでも、感謝は言い尽くせない。