そこから秋の集中審議で20近い機関・業務が外され、最終報告を決定するに際してさらに20弱の機関・業務が外されていった。そして最終報告別表から法制化までの間に5機関・業務が外される。ただし、貿易保険や統計センターなど一度検討対象から外れて再び「復活」されたものや、大学入試センターのように新たに付け加えられたものも一部にはあった。一方で、小渕内閣が公務員定員の20%削減を公約にしたことは、結果的には、一定数の対象機関・業務を確保することの追い風になったといえる。20%削減の実現には独立行政法人への移行が不可欠であり、最終報告の「別表」から抜け落ちる機関・業務がそれほど多くなかったのは、この公約が一つの歯止めとして効いていたと思われる。
つぎに、独立行政法人の職員身分については、行革会議の最終報告がいうように「原理的には現行と同じままの国家公務員とは相容れない」にもかかわらず、「円滑な移行その他諸般の事情にかんがみ」、公務員型を設けるという結論に落ち着いた。そして大半は公務員型になった。行革会議は独立行政法人の制度設計に関し、多くの時間と労力を職員身分の問題に割いたのであるが、それはある意味で不幸なことでもあった。そもそものエージェンシー構想は行政の立案機能と実施機能の分離を図ることであり、そこにおいては実施機能の担い手が公務員となったとしてもそれは不自然ではなかったといえる。非公務員にこだわらざるをえなかったのは、改革の力点が行政機能の分離というよりはアウトソーシング、中央省庁のスリム化に置かれたためである。日本の行政改革では中央省庁のスリム化にこそ関心が集中するのであり、それが目的であるならば、職員身分を国家公務員とすることは改革の意義を薄めたという批判を招くことになる。民営化や地方分権を通じた中央省庁のスリム化と中央省庁における立案と実施の機能分離は別の問題として扱われるべきであり、理想的には、前者の道筋をつけたうえで後者の議論を深めることができれば生産的であったといえよう。
また、日本にエージェンシーなるものを導入することは、与党自民党の公約であり、行革会議でも中間整理の段階からすでに既定方針となっていた。そこではイギリスの制度が雛型として想定されていたものの、その直輸入には懸念が示されており、日本版の制度設計はいまだ緒についたばかりであった。今次の改革は、まずは「エージェンシーなるもの」の導入ありき、から出発したといえる。そうしたなかで、行革会議では一定規模のエージェンシー化を実現すること自体が優先されていくことになり、なぜエージェンシーを導入するのかという論理、日本版のエージェンシーとは何であるのかという理念、そしてエージェンシー化の対象となる基準などは、実現可能性に直結する職員身分の問題や対象機関・業務の輪郭を内定させてから、「後付け」されていったという感も否めない。