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総合的な学習という言葉は、えてして社会では、総合学習と、そのまま短絡して話が進んでいますけれども、これは定義において違うわけでございます。それは環境学習辞典から引かれていますように、総合学習というのは、非常に昔から言われているように、学習というのは総合的でなければならないという、物すごいかたい、きちんとした理念の中でやることで、環境学習を含んだ広義の意ですね。ですから、これは間違いではないんですけれども、今言っている「総合的な」と、わざわざ名をつけて「学習の時間」と定義されている現在の文部科学省での言いっぷりは、これは表現がいいかどうか別として、非常に政策的というか、やってほしいという、ある願望が、そこに含められているということを、ここで指摘して、これからの話題にも、それが生かされていることが望ましいと思うわけです。

時間はそう大してありませんので、『総合的な学習≠総合学習』のところを、ちらっと見ていただきますと、総合という言葉の理解について、はやりの言葉ですが、複雑系の実態把握の1つのアプローチであると。ただし、科学的研究方法は未確立であると。システム科学というのはありますけれども、ともかく今のところはそうであると。総合するという作業は、単にあれをやって、これをやってという、例えば生物学をやって、地学をやって、社会学をやって、その3つを合わせれば、総合と。そういうのとは全く違う。何かというと、相互作用を持つ−−これは世の中のシステムは全部そうなんですけれども、その相互作用ということをちゃんと認識した多くの要素の支えられた全体システムとして、トータルには、1+2が3以上であって、プラスアルファがいつも出てくる。つまり、足し算だけで、その答えが出てくるようなものではない。必ずプラスのものが出てくると。そこに意義がある。そういうものを複雑系を総合として見る。つまり新しい付加価値を生み出すダイナミックな機能態の認識であるということ。

それから、日常にはおろそかにされがちな俯瞰的視座、これは言われて当たり前なんですけれども、ついつい私どもは日常生活で単純に海岸、貝、潮干狩りという程度にしか見ない。しかし、海岸というのは、今さんざん熱弁を奮われたお2人のお話のように、物すごい広い対象がある。ということを、どこまで認識できるかというのは、今度は個別のそれぞれのリーダーの方々、あるいは生活者の姿勢ではないかということです。

それから、この総合的な学習に望まれる実行趣旨としては、要素の1つ1つを見逃さないで、丁寧な観察をする。辛抱強くしなきゃいけない。わからないこと、わかっていないことはたくさんあるという認識を子供たちに伝えなければならないということです。今までの文部科学省のやり方は、科学は立派であり、これだけできたという成果を、専ら進めるというやり方でした。寺脇参事官も、このごろテレビでしきりに言っています。あの人は、どたんと変わって、文部科学省も方針が変わったようなラジカルなことをおっしゃいますけれども、実はそういうことは初めからあったようでして、それまでのプログラムは、そうは言ってなかったということで、わからないことはわからんと平気で言えるような授業でなければならないと。それで抵抗があるなら、おれは知らないということも言ってもいいよと。まあ、これは私語でありましたけれども、そういう姿勢が今はあります。別に僕は文部科学省の代弁をしているわけではないですけれども、非常に大切なことですね。科学省がわかっていることだけを言っている間は失敗が多いでしょう。

 

 

 

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