あとがき
自分の目で見つめ、確認しよう
科学技術がいかに進歩しても、自然地形や自然現象を対象とする場合には観察者自身が自分の目で実物を見、触れ、そして場合によっては匂いを嗅ぐことの重要性は少しも減っていない。とくに環境にかかわる問題においてはそうである。この小冊子は、千葉県九十九里浜を対象とした巡検記であるが、予定したシナリオ通りに進むものと違い、訪れる場所ごとに発見的に多くの興味ある点が見いだせることにこのような手法の特徴が、そして面白みがある。もっとも、ただ現地に行きさえすれば物事が見えるわけではないことは言うまでもない。そこには、たゆみなく研ぎ澄まされた感性が必要である。これには完成という域はなく、少しでもそれに向かって努力し続けるべきものであろう。海を見ても、砂浜を見ても、興味さえあれば面白いものが見つかることであろう。逆に脳裏になければそこに実物があっても見えなくなるに違いない。このように言うと理屈っぽい専門家でなければ現地を見ながら発見を続けることは不可能と言われるかもしれない。しかし、そんなに理屈を言わずとも、何回も海岸を訪れて説明を聞くうちには、何となく実感が湧いてくることも事実であろう。今回の巡検では単に海岸侵食や海浜での堆積状況、あるいは漁港の施設を見たのではない。重要なのは、具体例を通じて現在のわが国の海まわりで生じている様々な問題を理解し、その背後にある社会の仕組みやその問題点、さらには法律を含めて問題解決のための今後の方向性について長い時間にわたって議論できたことであろう。海と遠い都市の会議場で議論することよりも、潮風に吹かれながらの議論の方が人々の心により強い印象を与えると思うからである。現在、日本の海の周りで起きてきていることは、とても海洋民族とは言えないほどに疲弊状態にある。したがって一人でも多くの人々に海岸の実状を正確に知ってもらうことは、大きな変革の第一歩と考えるがゆえに、近い将来別の海岸を訪れる巡検を行いたいと考えている。とくに残された九十九里浜の北半分についてはいずれ近いうち巡検を行わなければ完結しないという思いで満たされている。なお、本小冊子の作成は日本財団海洋船舶部の吉田哲朗氏、酒井英次氏との共同作業によって進められたものである。
宇多高明
宇多高明(国土交通省 国土技術政策総合研究所 研究総務官)
東京工業大学修士課程修了。東京工業大学(工学博士)、米国スクリップス海洋研究所在外研究員(昭和55年〜56年)、建設省土木研究所河川部長などを歴任。日本全国及び世界各地の海岸調査を行う。また多くの人々に海岸のわかり易い説明をするのが趣味。著書に「日本の海岸侵食」など。
砂浜の風景は自然観の年代記
九十九里浜の風景こそは壮大な年代記である。地質学的形成にはじまり、人間による数十年間の急激な変化が、地形や構造物や生物の分布などのありさまとして残っているからである。その風景に隠された物語を読み解く過程こそが、現地踏査の醍醐味である。
海岸が変わった、子供の時にはこんなではなかった・・・日本中でそういう声が聞かれる。この数十年に壮絶な変化を遂げた原因は何だったのだろうか。
この3月、九十九里浜のイワシ漁で勇名を馳せた人物にインタビューする機会を得た。
漁村の目の前に広がる砂浜は、手漕ぎの小さな船を手近に係留しておく漁港であり、砂浜の輻射熱によって、高価な綿の漁網や特産物の干鰯はあっという間に乾燥し、砂浜は天然の漁具管理場かつ加工場でもあった。地曳網によって海岸に寄って来る魚群を捕らえることができた。集落にとっては協働作業場であり、コミュニティの共有空間であった。遠くの海食崖から流れてくる砂が堆積して、集落の所有地は海に向って年々広がり、半農半漁の生活にとっては田畑が自然に増えて喜ぶべき状態であった。
しかし、戦後、漁船の動力化や大型化により、広大な砂浜が邪魔になってきたのだった。漁網も化繊になり乾燥がさほど重要でなくなった。農業を支えた肥料の干鰯も化学肥料に替わられ需要がなくなった。京葉工業地帯ができ、漁業者が地域から流出した。
イワシの漁場が目前にありながら、漁港がないために、砂浜から人力で船を出すのに時間と手間がかかり、イワシの大群に到達できなく悔しい思いをしたことが多かった。岩礁地帯に立地し大型船が係留できる漁港を持つ他の漁業者に目前で魚群を獲られ、砂浜での船の揚げ降ろしの過酷な労働に苛まれるうちに、この砂浜さえ無ければとの思いにかられたという。しかし、砂の堆積空間である砂浜の中央部に漁港を造ることは昭和30年代には不可能といわれた。
熱心な陳情や活動が行われ、技術的な突破口も開かれて、やっと漁港が建造され始めた。まさに砂との戦いであり、構造物で港内への流入を止めたと思っても、一夜にして砂州が出来、漁船が入港できない、などの現象が続いた。