こうなると、もはや砂は恩恵ではなく、忌避し、排除し、征服する対象となった。九十九里浜は漂砂のバランスが崩れ、侵食対策のためにブロックで覆われ、そこは別世界のような状態となった。もはや地曳網をする場も人もいない。漁村にとっての砂浜は存在感を失ったのであった。
この日本有数の砂浜の住人たちの砂浜への観念の壮絶な変遷に声もないほどであった。
このように、既に、九十九里の砂浜は具体的な恩恵をもたらしてくれる存在でなくなって久しかったが、ウミガメ、アジサシや海浜植生などの生態系の重要性や、凧揚げの場などオープンスペースとしての位置付け、サーフィンの流行などによって、再度、砂浜が見直されてきた。それが現在である。
このような具体的な話を通じて、日本の海岸に何が起きてきたのかをひもといている。同じ存在であっても、状況によって位置付けが変わることを正視しなければならない。
現在は、景観を壊すと嫌われているコンクリートブロックは、投入しはじめられた四十年前には、激浪の脅威から陸を守ってくれる輝かしい存在として人々の眼に映っていたのだった。漂砂供給源を無くしたとされる崖侵食工事は、岸辺に住む人に安心感を与えた。砂浜の地形変化をもたらした漁港施設は、その建設によって多くの人たちを過酷な労働から解放した町の輝かしい発展のシンボルであった。
自然との共生、環境の世紀などといっても、人間は置かれた社会状況によって自然に対する姿勢を急激に変化させること、特に日本人は転換後に徹底的にやってしまうこと、を各地のフィールドでまざまざと見せ付けられてきた。砂浜、干潟、河川の氾濫原、これらの自然から恵みを得てきたはずの人たちが、牙を剥くようにこれまた徹底して潰していった。その人たち個々人は決して悪い人たちではなく、かつ、自然を壊す人たちにもそれぞれ正義があり、その仕事を実にこつこつと真剣に遂行してきたのであった。当初の目的が失われ、その作業自体が目的化していった。その様は、個々人を非難できる性質のものではないのだった。
日本の海岸は人工化が進み、自然が失われ、生態系も衰退した。これは誰の責任なのか?誰が悪者なのか?と思ってきた。何故なのか、それを知って何とか変えたい、と。しかし、調査研究を進め、多くの時代を担った人たちに直接会って話を聞くうちに、自然の立場だけから物事を考えるのでは一面的過ぎると思うようになった。私自身は、生物学と地学をベースにした自然環境保全志向の強い人間であるが、一方で、それを破壊する人間社会側の精神性やロジックに強い興味を抱いてきた。
ここに紹介した九十九里浜は一例ではあるが、知れば知るほど、今後どうしていくのか当惑することが多い。人間側の価値観の変動が激しく、自然が改変された場合に復元しようとする時間スケールが合わないのである。「海岸や海洋の管理」といった場合に、この変動幅をどのように調整していくかが重要であることがわかってきた。しかし人間の側を制度的に制御できるのだろうか。
九十九里浜巡検の企画、報告書の作成を通じ、日本財団海洋船舶部のみなさまは、丹念に資料をあたり、共同研究チーム的な発展を遂げられた。海岸の来し方行く末への興味の共有化は、研究者にとってこの上ない楽しみであった。また、多方面にわたる巡検の参加者の皆様との議論も刺激的であった。ここに記してお礼申し上げる。
清野聡子
清野聡子(東京大学大学院 総合文化研究科 広域システム科学科 助手)
東京大学農学部水産学科卒。大学院では、東京大学海洋研究所で修士課程、東京大学大学院総合文化研究科広域学科で博士課程を過ごす。専門は、河川・海岸の環境保全学。生物学をベースに、地球科学や社会学的領域の研究を行っている。