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12海里という根拠も、大砲を打った距離など現在でははるかに超えているのに、まだ12という数字でやっているわけです。昔は3海里だった。そういうことを考えますと、余り現実から離れた基準というのはやがて廃れていきますが、みなが合意しているルールというのはそれでも良いということがあるはずです。国際法にはそのような事例はたくさんあります。

ただ問題は、海洋環境といいますか、地球の将来、我々の存在にかかわるような問題について、そういうレベルのもので良いのかという問題があります。私は科学万能主義でもないのですが、科学的な知見というものを我々が大事にしていくということは、せめてそれを根拠としてみなで考えていく基準にしていく必要があるということです。ですから、海洋生物資源、特にマグロ等の予防的な措置といっても、「このまま放置しておけば、もしくは開発が進んでしまえば海洋環境に重大な被害が起きるから何もしない方がいいんだ」という予防的なアプローチの概念には、やはりどこか科学的な基準というものを少しずつ導入しながら、試行錯誤的にせよそれを実現していくというよすががなければならないのではないか、という意味で先ほど申し上げたつもりであります。

 

多屋:資源の持続的利用を図る方向で、そういう考えのもとにやらないといけないということは同意するわけですけれども、ではマグロにしても、資源の再生産が最もわかりやすいクジラにしても、資源学者の意見を求めるとどんな学者でも呼んでこれるという状況があるわけです。ましてや他の魚では反対の学者を集めるというのは簡単なことなわけです。科学的資源の持続的利用というのは進めないといけないわけですけれども、これだけを拠りどころにすると資源ナショナリズムだけが残ってしまって、1匹たりとも外国にはとらせないということで、余りこれにこだわると、これは紛争のもとになってしまうというように私は考えるわけですね。

そういうことではなくて、例えば日本海の資源を関係国の漁船と国民がどう最適に利用するか、資源を利用して最大の利益を上げるか。そういう観点から接近すると簡単に問題解決できるわけですね。資源の取り合いではなくて、その資源を3カ国、4カ国がどう最適に利用するかという経済問題に置きかえれば、もう幾らでも簡単な方法はできるわけです。ですから、最終目標はやはり資源をそれぞれの国民が、人類がどう利用するかというところにいかないとならないわけで、資源の持続的利用ばかりに入り込んでいくと迷宮に入ってしまうという恐ろしさがあるということが1つの問題提起です。

 

来生:今のお話で私はよく理解できなかったんですけれども、一定の量の魚がいて、周りの国の人が最適に利用するという観点だとうまく整理がつくというのはなぜでしょうか。何となく周りの国の人といっても、具体的に言うと漁業をやっているそれぞれの国の人ですよね。それぞれの国の漁業者は、同じ資源があるんだったら自分でたくさんとろうと思うはずだという想定が働いて、そうすると結局自分のところは自分が全部とっちゃうというのがおのずと出てくる結論かなと思うんですけれども、そうじゃない解決というのがあるということなんですか。

 

 

 

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