この2つの考え方の違いが今ぶつかり合っていて、いろいろな問題を起こしているというのが本質的なところだと思います。
寺島:ありがとうございました。
海洋管理の問題としては、大きな問題として沿岸域の問題。それからもう1つの大きな問題が、200海里の排他的経済水域をどう管理するのか。特に環境問題も含めてどう管理するのかというところが大きな問題だということで、科学的調査の話を提起してみたわけですが、ほかに何か海の管理の問題について発言しておきたいということがございますでしょうか。
多屋:国連海洋法条約では、水産資源に関しては、当事国の主権国がTAC(許容漁獲量)を科学的に設定して、その範囲で獲って、余ったものは余剰原則で外国に渡しなさい、というメカニズムになっておりまして、これは論理としては非常にうまくできているわけであります。しかし水産海洋資源の管理に関しては、このメカニズムは非常に問題を抱えていると私は考えているわけであります。なぜかというと、水産資源学は現在発展途上の学問でありまして、皆さんが今言われている持続的生産、あるいは科学的に資源を明らかにするということがほとんど不可能な領域なわけでありまして、我が国はとりあえず今5つの魚種についてTACを出しておりますけれども、これはほとんど科学的ではありません。鉛筆をなめてやる。ほかの国も、水産資源に関していいますと、科学的にTACを出せるというのは、EUの管理委員会でも14%がせいぜいだということでありまして、予算を10倍ぐらい出しても14%の科学的精度が15%ぐらいに上がるというぐらいのものでして、海の資源を人間が把握するというのは非常に難しい。
自分の国の漁場でとれるものは自国が全部とるんだというのは紛争解決に非常に役立って、その意味ではこの論理は良いわけですけれども、では、「おまえの国のデータは嘘じゃないか」と言われた場合、将来紛争にもつれ込んでいくという問題は十分持っていて、特に日本海、東シナ海の資源に関しては利害関係が複雑に入り組んでくるわけで、日本がいくらTACはこうだと言っても、それはおかしいんじゃないかということですぐ紛争になっていくというように私は考えております。ですから、科学的資源管理というものは必ずしも一枚板ではなくて、将来非常に大きな問題を持っているということを考えております。
寺島:大事な漁業資源の問題について多屋先生から発言がありましたが、何かこれに関連してご意見ございませんでしょうか。
栗林:恐らく多屋先生がおっしゃっているのは、地球の限られた資源の中で、科学的なデータというものがどの程度配分する基準足り得るかということだろうと思うのですが、国際的なルールの中には、余り科学など考えないで決めてしまう、要するに諸国民が合意すればルールになってしまうというところがたくさんあるわけです。そもそも200海里にはどんな科学的な根拠があるのか。