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続いて、領海の幅の問題に焦点を絞って開催されました1960年の第2次国連海洋法会議では、既に国際社会の趨勢が3海里を容認しない方向でありましたために、結果的には6海里と12海里の対立となりました。しかし、現実には広い領海を主張して漁業水域との機能分化を図ろうとする国が多数であったにもかかわらず、日本は一貫して3海里を主張して、領海幅はその国際法規則が確立されない限り、どの国に対しても主張できるのは3海里であるといたしました。そのため、アメリカやカナダなどが12海里の中で領海と漁業水域を何とか組み合わせようという共同提案を考えて提出したわけでありますけれども、これに対しては日本は棄権票を投じて、それが結果的には1票差で、アメリカ、カナダ案を葬ることになったのであります。

この会議以降も、多くの国が漁業水域の設定、あるいは領海の拡大を表明してきましたけれども、日本はそれに抗議するとともに、それらの国の沿岸での日本の操業実績が尊重されるべきであるとして、個別に関係諸国と漁業交渉を行ったのであります。例えば、1965年に、ニュージーランドによる12海里の漁業水域の設定に対しまして、日本は国際司法裁判所への提訴を企図したこともありましたけれども、ニュージーランドと個別の漁業協定を締結するなどして、外交交渉によってこの問題は解決を図っております。

それから、きょうのお話でも何回も出てきました1973年から82年まで開催されました第3次国連海洋法会議は、本当に長い激しい対立と交渉の末まとまってきたコンセンサスによりまして、17の部で構成される320カ条と9つの附属書から成る膨大な条文数を持つ国連海洋法条約を採択したわけであります。この条約を一言で要約することすら難しいのでありますけれども、大きな柱といたしましては、200海里の沖合水域における生物資源、鉱物資源の開発、管理、保存などに関する沿岸国の主権的権利を認める排他的経済水域制度が導入されたということ。それから2番目に、深海海底の人類の共同遺産(Common Heritage of Mankind)の概念に基づく国際社会による管理体制へ一歩前進したということ。それから3番目は、海洋環境の保護保全のための国際的な汚染防止体制の強化という主要な分野のほかに、領海とか接続水域、国際海峡、群島国、大陸棚、公海、島、海洋科学調査、海洋技術の開発・移転、海洋紛争の解決といったおよそ海洋法のすべての面について、海の利用の現代的な状況に照らして、従来の海洋法の全般的な見直しを図ったものであります。古くからの規則がそのまま存続したものもありますし、また現代的な状況において修正を図られたものもありますし、深海底開発のように全く新たなレジームが取り入れられたという面もございます。

特にこの中でも、トルーマン宣言に端を発した沖合管轄海域の拡大主張の流れの中で生まれた排他的経済水域概念は、200海里内での沿岸国の資源管轄権を排他的、独占的なものにするということで、1960年代に続々と誕生した新興独立諸国の利益を確保して経済発展を促進する意図を持つものでありました。発展途上諸国にとってみますと、漁業の自由を含む伝統的な海洋自由の原則というのは、実際にそうした自由を享受することができる先進国にだけ有利なものであって、いかなる種類の自由にせよ、それを利用する機会均等が存在してのみ意義があるという立場から、現行の海洋法制のもとではこのような機会の平等化は実現することができないから、選択肢として自国周辺の海域を囲い込んで、先進国が海洋資源を自由に開発できる区域を制約せざるを得ない、ということが主たる動機となっております。

 

 

 

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