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その際、魚種というものはあくまでも「共有の資産」であるということであって、いずれの国にも属するものではないという主張をしております。

日本の領海3海里の主張というのは、主として外国近海における日本漁船の利益の保護を目的としておりましたけれども、その背景には、1902年(明治35年)に遠洋漁業奨励法(勅令173号)という法律ができまして、それを契機として日本のトロール船の数が飛躍的に伸びたという事実があります。もっとも、これによって外国漁民との衝突の増加や、海底パイプラインヘの損害が深刻化してくるという問題がありましたので、その後、トロール漁への奨励金の下付を廃止したり、罰則を強化したりしましたけれども、その数は減少することはなく、それが諸国との将来における漁業摩擦の一因となったことは否めないのであります。

他方で1911年(明治44年)、日本とイギリス、アメリカ、ロシアとの間で、「北太平洋におけるオットセイの保護と保存のための条約」が締結されまして、締約国の国民や船舶によるベーリング海での監察に加えて、オホーツク海と日本海を含む一定区域の公海におけるオットセイの猟を禁止するとともに、一定の漁港を除いて条約に掲げる3海里海域内における猟を全面的に禁止するという内容の条約が締結されました。ここでは、違反者の拿捕、送還、あるいは乱獲された獣皮の締約国への持ち込み禁止、取引規制など、基本的には獣皮の取引に関する経済的利益の保護というものは前提としておりますが、海洋資源の最大持続生産性を目的とした一種の共同規制措置でありまして、これは海洋生物資源の管理的な発想として、その萌芽的形態として注目に値すると思います。

またこの頃、3海里の領海外に隣接する9海里を越えない範囲で、要するに距岸12海里以内の水域の中で、関税、衛生、警察、漁業、国防、航海安全といった事項につきまして、沿岸国が特定の規制を行うことができる水域を接続水域としてみなす傾向があらわれ始めておりました。先ほど述べました1930年のハーグ会議では、日本は、最大幅12海里までの接続水域について各国が必要に応じて相互に適当な取り決めを締結するのは自由であるけれども、一般国際法としては沿岸国が領海外に特殊の権利を行使することを認めないという立場でありまして、とりわけこの水域での漁業に関しては沿岸国の独占権を認めようとする見解に強硬に反対したのであります。

以上のように、この時期の国際関係構造を反映して、海洋は基本的には先進国によって秩序が維持され、日本は海洋が自由であることが好ましいという考えの下に「狭い」領海を墨守するとともに、領海を超える水域の設定、特に漁業に関する沿岸国権利の拡大に対しては否定的な態度をとったわけです。また、「文明国」たることを内外に示すために、日清戦争と日露戦争に国際法学者を従軍させるなどして、戦時における海上武力紛争に関する国際法の遵守に努力を傾注したのです。その意味では、日本は当時の国際法ルールを忠実に適用して、欧米列強の主導する海洋秩序に積極的にコミットして国益の確保を図ろうとしていたと言えます。

 

 

 

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