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では、この海洋法に関してどうなっていったのかというと、1983年にレーガン大統領が排他的経済水域を200海里で宣言いたしました。これは海洋法条約と一致するものであるとしたわけであって、ソ連、日本も追随し、やはり200海里に管轄権を宣言したという年でありました。

そして1988年、さらに国外的ないろんな動きがありまして、この辺をちょっと強調しておきたいと思いますが、必ずしも国内法というわけではありませんけれども、やはり重要な影響を及ぼした動きがいろいろ続きました。たとえば1989年、エクソン・バルディーズ号の油の流出事故がありました。アラスカのプリンス・ウィリアムズ湾で、アメリカの国民そして国際的な関心が高まった事件でありました。これによりまして、大量の原油の輸送がこういう影響を及ぼすのだということに関心が高まったわけでありました。

90年代に入りまして、その結果といいましょうか、油濁法が制定されました。これによって連邦政府内の権限が相当高まりました。特に石油やガスの輸送に関して強化されました。それからまた油流出に関しての罰則の強化、そして自然資源に対する影響を評価することに関しても体制が強化されました。

また、90年代の初めにいろいろな法律ができましたけれども、これによりましてnon-point sourceの汚染源が管理できるようになりました。土地利用政策に関してもやはり法律がありますが、これによって沿岸の州に権限を与えました。そして沿岸の管理に、それからこの水質汚濁についても規制が強化されまして、non-point、たとえば建設現場とか表層水の流れ、それから農業からの排水などであります。それを管理するということであります。そしてNOAAが沿岸州と協力して計画を策定して、沿岸汚染に対して対応するようになったわけであります。

1992年に地球サミットがありました。これはおそらく非常に重要な動きの一つだったと思うのですが、その中で特記すべきこととしては、沿岸・海洋政策については「アジェンダ21」の17章で触れられております。そこで勧告的なものが盛り込まれたわけでありますが、「持続可能な開発」のために沿岸域と海洋環境の総合的な管理をするべきであるとしています。そして、アメリカもこれをさらに真剣にとらえるようになったわけであります。

CBD(生物多様性条約)も同じような内容が盛り込まれており、海洋・沿岸の統合的管理をすべきとしています。ねらいは生物多様性の保護でありますけれども、これによってさらに統合的な海洋・沿岸管理に対する利害と関心を高めようとういう動きがさらに強まっていきます。

ボルゲーゼ先生から海洋に関する、特に陸上起源の汚染に対する問題、それからnon-point sourceの汚染源、point sourceの汚染源について一言だけお話がありましたが、やはりこの年に国際サンゴ礁イニシアチブが1995年に始まりまして、汚染とサンゴ礁の問題をつなげて考えるようになりました。これもやはり国際的なイニシアチブや取り決めが生まれた結果として生まれたと思います。これによって沿岸諸国が沿岸管理を実際に適用するようになったわけであります。中国、韓国といった国々も世界各国と力を合わせて、統合的な管理をするようになってきました。

1998年は国際海洋年でありましたが、クリントン大統領も海洋政策の重要性を指摘いたしました。

 

 

 

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