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そういうふうに死ぬ人は自分一人ですからね、「みんな、どんなふうにして死んでいくんだろう」と思うわけです。そこでホスピスのナースは静かに、日々の保清、体を清潔にしたり、音楽で癒したり、お話を聞いたり、いろいろなことをして慰めることなんですけれども、皆様が想像するようなものすごいことっていうのはあんまり起きてなくて。むしろ平凡のなかの輝きというんでしょうか、今日食べれなかった何かが食べれたり、呑み込めなかったかき氷が飲めたりとか、疎遠だった親族にやっと会えたとか、そういうささやかなことがものすごい喜びで輝くわけですね。

私はそういう平凡な日々の提供がホスピスケアの真髄じゃないかなと思います。そのなかで何か本当にやり残したことがあって、どうしてもやらなきゃいけないという人には、私たちスタッフは大いに力を提供しなければいけませんけれども、ほとんどの方が今日やっと生きることが精一杯なんですね。そういう現場にいるんじゃないかなというふうに、日々考えております。

南 残念ながら、ホスピスが全国にかなり増えても80ということですから、すべての癌患者さんがその恩恵を受けられるというまでにはなかなか時間があるわけですが、大下さんが一つ提起してくださった問題で、死んでいく方に対してケアする家族という問題がありました。千原さんはその家族ともお話をされることもとても多いと思うんですが、亡くなった方はもうとっくの昔に極楽、天国にいても、看取った家族は何年経ってもまだ苦しみが残ると。これについては何か、どういうお考えをおもちでしょうか。

千原 ご家族の場合に2種類の苦痛があるんですね。一つは、だんだん患者さんが弱っていく。弱ってやがて死を迎えるだろうという、ある意味でのゴールに患者さんといっしょに歩けないという苦しみがあります。それに対しては、医療者は一歩だけ先に出て、患者さんがどういうかたちでゴールに向かうかということをご家族にサゼッションしていく必要があるだろうというふうに思っています。

もう一つの苦痛は、遺族になってしまうこと。遺族になる準備を患者さんがご存命のうちからしていくということが、家族に対するケアとして非常にだいじなことだと思います。患者さんが亡くなってから家族のケアをしてもケアにはならない部分がたくさんあるというふうに思います。

南 その両方の意味で、先ほど遠藤さんもたくさんのことをおっしゃいましたけれども、医療側への一般の人の要求も非常に高いものがあると思うんですけども、そのへんはやっぱりこれからの医学教育とか、そういうところに期待をするというところでしょうか。

千原 そうですね、ご家族にしても患者さんにしても、わかってないことがたくさんあるんです。ところが医療者は案外「わかっているはずだ」で通りすごしている。

南 医療者の方の日常の感覚と乖離しているということですね。

最後に、この一言だけはぜひ聞いて帰ってほしいという一言をもって締めくくっていただきたいと思います。水野さんからお願いします。

水野 わ、聞いてませんでした、こんなことは(笑)。そうですねえ、種村先生が、中学生、高校生にご講演なさっている「命の授業」。死ぬというときになって考えても遅いですね。日本の教育が変わって、命について「死とは何か、生きるとは何か」ということに触れられる教育が日本を変えるんじゃないかと思います。

 

 

 

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