だから、家族だけが知っていて本人に告げないというのはなんとおこがましいことだろうって(笑)。いくら親しい家族だってその人の人生を代わってあげることはできないわけですね。だから、そういう意味で本当にその人の立場で考えてあげることって必要なんじゃないかなと思っています。
南 ありがとうございます。またその子どもさんへの授業のこともちょっと伺いたいんですが、ちょうど今のお話が「死をみつめる」というところのお話が出ましたので。水野さん、この前、ちょっと私が電話でやり取りをしたなかで、死ぬということについて語り合うことはかなりブームのようになってきているけれども、マスコミやいろいろな著作物や報道されるものを見るときに、なんか死はあたかも感動的でなければならないような報道のされ方が多すぎると思うと。もっと淡々としたもので私はいいと思うというふうなお話をされてて、私、ハッとしたんですが、今のお話、まさに患者さんの経験をされた方の言葉にもそれを検証するような言葉があったと思うんですけども、いかがですか。
水野 はい、ある患者さんがおっしゃったんですが、「死って軽いね」ておっしゃるんですね。50代の男性の方なんですが、もう亡くなられる2週間ほど前の言葉なんです。「思っていたより軽いよ」て。事業を起こされて成功して、子どもさんたちにもうすべてのことを整理されて、残された時間を奥様と旅行したりしておられたんですが、いよいよ死期が迫ってというときの言葉なんですね。それで80歳を過ぎたおかあさまにそのことを話したんだそうです。自分の命がわずかしかないという話をです。「そしたらね、婦長さん、80にもなって、まだ死というのが怖いんだろうか。見る間に顔がこわばってね」とおっしゃったんですよ。「そりゃそうですよ、自分の息子が死んでいくのに笑顔で『そうかい、そうかい』ていうお母さん、いませんよ」て話したんですね。「そうかな。ぼくはこれでいいと思ってるんだよ」という場面があった。それで奥様は、「本人はいいかもしれないけれども私はつらい」というふうに言っておられました。
まさにいろんな患者さんがいらっしゃいますけれども、死にゆく人はほんとに強いなって、日々思っています。ほとんどの人が無名で、ごく平凡な人生を送って死に至るわけですね。体重が30キロを切るぐらいに衰弱される方がいました。そのような方が、食べることもしゃべることも体の向きを変えることも困難になった状態で、「私、こんなふうでもいい?」ておっしゃるんですね。「はい?」て言ったら、「こんなになっても生きてていい?」て。「みんなどういうふうにして死んでいくの?」て、もうそういう言葉ですね。「もちろんですよ。最後の日まで生きててほしいですよ」ていう話をして。ある日、その病室に入っていきましたら、ちょうどベテランのナースが2人いて、その方が口を動かしておられるんです。でも何をおっしゃっているか、もうわからないんです。毎日毎日、「私、まだ生きているの、まだ生きているの」ておっしゃていたものですから、私は読み取る自信があったんですね、「そうか、わかったわ。もう死ぬのね」て言ったんですね。「えっ、もう死ぬんですね。お別れなんですね」て言ったら、違うらしいんですよ。そばにいたスタッフがですね、「金縛りにあいました、あのときは。なんてことを婦長、聞くんだろう」と思ったそうです。その患者さんはですね、アイスクリームが食べたかったんですね(笑)。「アイス、アイス」て。「あらー、ごめんなさい。アイスクリームだったの」て言って、何事もなかったようにほんとに小さじ一杯ぐらいなんですが、召し上がるわけです。
ほんとにそういうゆるやかな時間がホスピスで繰り広げられるんですよ。