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もう1人の方は、聖隷ホスピスでの経験ですが、50歳代の男性です。日頃は非常に暴力的で、奥さんを困らせていたという方です。入院をなさっても、少しでも具合が悪いと奥さんに当たり散らす。「なんでおれはこんな苦しいんだ」と最後まで奥さんに当たり散らした方がいらっしゃった。その方が亡くなる前の日に、一言奥さまに、「おっかあ、世話になったな」とおっしゃった。その言葉を聞いて奥さんは、今までの苦労はこれですべて解決したとおっしゃいました。

今お話ししました3人の方をもう一度振り返ってみますと、最初の方は、自分が死を迎えるときに、自分がどこに行ったらいいだろうか、そのことがいちばんの問題だったろうと思います。自分のこれから行くとこ、それをいっしょに探してほしいという気持ちであったのではないかと思います。

2番目の方、18歳の高校生は、自分がどうして生まれてきたんだろうか。どこから生まれてきて、どうしてこんな苦労して、苦労の末に人生を終わらなければならなかったのか。その生まれてきた意味を問いたかったんだろうと思います。そのご両親があとで私に、「娘が亡くなったのは悲しい。本当に悲しい。だけど、ある意味ホッとしている」ということをお話しくださいました。今まで18年間、生活を共に苦しみながらなさってきたと思います。そして、ようやく娘さんを苦しみのない世界に送り出せたということで、ご両親の苦しみもある意味では取れたのではないかなと思います。

そして3番目の方の場合には、自分の人生を振り返り、いろんな反省をなさって、反省のなかから簡単な言葉でしたけれども最後に一言だけ言えた。自分の人生を認める、自分を認め、そして奥様と和解をしたうえでこの世から去っていく。そのような状況であったろうと思います。

今の3人の方を振り返ってみますと、人間というのはどこから生まれてきたんだろう。そして生まれてきて、それまでの人生が本当に祝福されたものだっただろうか。すべての人と和解して過ごすことができたろうか。そして、これからどこへ行くんだということを考えていると思います。その答えを出すのは非常に難しいことですけれども、一言でご紹介するならば、『旧約聖書』の言葉がございます。『旧約聖書』のヨブ記という聖書の言葉ですが、1章の20節、「主が与え、主がとられたのが主の御名はほむべきかな」という言葉です。私の命は与えてくださった方がいらっしゃる。それをまた受け止めてくださるという信仰といいますか、思いがあるときに、日々自分の行き先を見つめつつ過ごせるのではないかなというふうに思っております。

南 どうもありがとうございました。死というものを医療の現場で日々体験していらっしゃる先生ならではの、たいへんグッとくるお話でした。また詳しく、後ほどうかがいたいと思います。

では最後に、水野さん、お願いします。

水野 皆様、長時間に及んでいますけれども、お疲れのほうだいじょうぶでしょうか。今日、朝10時にこちらに到着いたしまして、キョロキョロしておりましたら、私の前に3人の70歳過ぎのご婦人が歩いておられまして、同じように迷子になってました。守衛さんにようやく行き合いまして、このセミナーに来たんだというふうにおっしゃいましたら、守衛さんが、「2時間半もあるのにどうするだ」というふうに言われました。でも、初めてだしどうしていいかわからないから早く来たんだというようなやり取りで、私もあとをついてきたんですが、このセミナーがそういった、本当に今日を生きている皆さんのセミナーなんだなというふうに実感しました。

 

 

 

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