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3年前に『知りたがりやのガン患者』を出版して、いろんなところからいろんな反響があったんですけど、遠藤さんと同じぐらい、数百通の手紙や、電話や、ファックスをいただきました。そういう方々のいちばんの悩みは「もっと私たちは知りたいんだ。患者の立場で自分の体のことを知りたいんだ」という必死の願いがこめられていました。そういう方々のためにも、そういうことがもっと普通に語れるようになりたいと思い、「命の授業」というオブラートに包んで、生と死を語る、そういう授業を3年前から続けています。

長くなりますので、また詳しくは後ほど話させていただきます。

南 ありがとうございました。さすがに小・中・高校生に話していらっしゃるというだけあって、非常に話がわかりやすかったと思います。

それでは次に千原先生、お願いいたします。

千原 私は、聖隷ホスピスで19年目を迎えますが、ホスピスにくる前は、先ほど遠藤先生にこっぴどくお叱りをうけましたような医者をやっておりました。ところが、ホスピスに来ますと、同じ人間がやっておりますのに、ホスピスは天国のところのようなものだというふうに評価をいただく。何が変わったのかというのは、私自身、まだわかりません。

そこで今日は、私自身が出会いました患者さんとの関係のなかから、3人の方のご紹介をして、死をどうとらえたらいいのか、死のときに一人ひとりがどんなことを考えていくんだろうかということを、皆さんとごいっしょに考えるチャンスになればと思っています。最初のお2人は、まだホスピスに来る前の時に出会いました患者さんです。

まず、1番目の患者さんは、20歳代後半の肺癌の女性の患者さんです。肺癌というのは、だんだん息が苦しくなってくるので、その当時は酸素テントといいまして、上半身をテントで覆って、そこに酸素を流すという状況で過ごしていらっしゃいました。いっぱいの酸素がいっても息が苦しい。そういう状況で過ごしていた女性に私は呼ばれました。私は、なんで呼ばれたのかなと思ったんです。「どうにかこの苦しいのを楽にして」と言われるかなと思って、じつを言いますとビクビクして行きました。ところがその患者さんが私にお話しくださったのは、「先生、先生の信じている神様にいっしょにお祈りしてください」と言われたんです。非常なショックを受けました。それが一つのエピソードです。

もう1つは、癌の患者さんではありませんけれども、今から18年以上前ですが、生まれたときに左側の肋骨が何本か足りない状況で生まれてきた女の子です。その子どもがだんだん成長していきますと、成長するにつれて体がだんだん左側に曲がっていくんです。中学生になったときに、整形外科の医師から、「手術をしたらどうか」ということをすすめられたけれども、「私はお父さんとお母さんからもらった体だからこのままでいい」ということで高校生までなったんです。高校生になってその子のやっていた生活は、できるだけ普通の高校生として過ごしたいから親が車で送るといってもバスで通う、そういう生活を繰り返していました。しかし、体がだんだん曲がって、肺の働きが悪くなってきた。一度目は入院なさって、人工呼吸器にしばらくつながせていただきました。そして幸い回復したんです。回復したあと、その子はまた親の反対を振り切って、バスで通学するという生活をして数ヶ月後に最後の入院になりました。その最後の入院で、息を引き取るとき、もう人工呼吸器をつけることもできないぐらい悪い状況でした。最後にその子が言ったのは、ご両親に、「私が生まれてきて意味があったよね」ということなんです。そして私にも同じようなことを話しました。それが2つ目です。このお2人はホスピス以外の病院で経験したお2人です。

 

 

 

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