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先ほど日野原先生のお話にも出てきました近代ホスピスをつくったお医者さんのシシリー・ソンダースさんが、患者さんの苦痛に対して4つのアプローチを説明されています。1つは肉体的なアプローチです。肉体的な苦しみをどう取っていくのか。病気になることによってさまざまな体の痛みとか、だるさとか、身体的なものをどう取るのか。2番目に心理的な苦痛、心理的なニードというふうに表現しましょうかね。病気はいったいいつになったら治るか、どんな治療法が行なわれるのか、それに対して自分はどんなふうに考えるのか、家族はどう思うかというような心理的な背景。3つ目が社会的な苦痛でありニードということです。病気というのは一人の患者さんの問題です。しかし家族という単位を考えたときには、一人の問題ではなくてその後ろには、家族とか会社とか、そういった側面をもっている。そういうものを社会的な苦痛、社会的なニードというふうにとらえていくことができると思います。そして4番目にスピリチュアルな苦痛。このスピリチュアルな苦痛は、先ほど遠藤さんが霊的という表現をされました。キリスト者の方は霊的とか、霊性という言葉を使ってもそれはしっくりくるんですが、日本の伝統的ななかで霊という言葉はきわめて宗教的、かつ民俗的に使われてきています。スピリチュアル、イコール霊というふうに訳すにはちょっと抵抗のある人が多いんです。ですから、そのへんを今日の議論のなかでできたらなと思っていますが、人間の非常に深い心の問題を宗教的なことも含めてどのように魂のケアをするのかということ、この4つの部分も考えていく必要があるのではないかと思っています。

私は主に、今のクリニックでは心理的な部分と、魂であるスピリチュアルな部分にかかわらせていだたいています。

よろしくお願いします。

南 ありがとうございました。それでは続きまして、種村エイ子さんにお願いしたいと思います。

種村 こんにちは、種村です。先ほど遠藤順子さんが、患者の家族の立場からお話をされました。今日のパネラーでは患者の代表としてこちらにまいったんですけれども、私が癌と宣告されたのは今から6年半も前のことです。あなたが5年生存できる確率は20%と言われたんですが、昨年の2月3日めでたく、その5年の日を終えることができました。ですから、患者というふうに呼ばれるのは、ちょっと厚かましいかなという気もしております。

この夏、ドイツのハイデルベルクに行きました。そこで癌患者じゃなくて、癌の持ち主という呼び方をするということを知りました。今日、この会場におみえだと思いますけど、ドイツからはるばる駆けつけてくださった二村−エッケルト敬子さんが翻訳された『がんを超えて生きる』というハイデルベルク大学の医療心理学のヴェレス先生が書かれた本があるんです。そのなかに「癌の持ち主」という言い方を見つけて、私はあったかい言い方だなというふうに感じました。私よりもっと厳しいつらい状態にいる人から見ると、「あんな人が癌患者なの?」という目できっと見られると思うんですね。でも、「癌の持ち主」だったら、皆さんだって癌の持ち主なんですよね。いつかは癌になるかもしれない可能性を秘めた人たちなんですね。そういう立場から今日はお話ししたいと思います。

 

 

 

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