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私は、現在、飛騨高山という非常に古い町を中心とした地域のつながりのあるところで、千光寺という1200年前に開かれた古いお寺で住職をしながら、高山市内にあります高桑内科クリニックというところで、患者さんの心のケアにあたらせていただいています。たぶん岐阜県では……といってももっと広いかもしれませんけれども、坊さんをボランティアではなく医療のスタッフとして雇っているケースは初めてというふうに思います。だいたいホスピス関係というとキリスト教関係が多いんじゃないでしょうか。今日もキリスト教関係の方が多いんですけれども、やはり認識が「ビハーラ」というのは少ないなという感じがいたします。

ホスピスとビハーラというのは同義語でありまして、ビハーラは東洋的な視点で人間の命について考えていってみようという僧院とか、安らぎの場所という意味があります。日本的な死生観や日本的な生命観というものがどんなふうに医療とか福祉の場面で展開されるのがいいのかということを考えようということで、15年前から「生と死を考える会」とか、「ひだ医療福祉ボランティアの会」と、そして「ビハーラ飛騨」というようなつながりとなって活動してきました。

私が今入っているクリニックは、いわゆるカウンセリングの専門職で来てくれということではなくて、むしろ患者さんの心に沿うボランティア活動をしてきた実績を認めていただいて、スタッフとして入っているというケースであります。ですから、私がいくらそのクリニックへ行っても保険点数には加算されませんので、クリニックとしては持ち出しになります。しかし、その医院では、院長が患者さんのためには必要なことだから来てくれということで行っているわけなんです。

なぜ私がそういうところにかかわるのかということを少しお話ししたいと思います。私はじつはもともとお寺の生まれじゃありませんで、12歳のときに今のお寺に入りました。私は小さいとき、本当に臆病な人間でして、死ぬということがたいへん怖かったんですね。「人間死んだらどこへ行くのか」とか、あるいは「死後の世界はいったいどうなっているんだろうか」ということで、「死」というものに対しての恐怖が命というものに関心をもつきっかけになったと思います。そしてそれがお寺に入るきっかけにもなったと思います。あのとき隣りにキリスト教の教会があればキリスト教に入ったと思いますし、オウムがあればオウムに入ったんじゃないかなというくらいの(笑)感覚なんですけれども。ただ、私自身が20歳のときに大病をいたしまして、3ヶ月の入院生活をするなかで、非常に不安な感情を体験いたしました。夜になるときの不安とか、そういう自分自身の体験を踏まえて、何とかその部分にかかわる仕事をしたいというのが私のライフワークとなっていきました。

だいたいお寺というのは年忌と法事と葬式しかやらないのですけれども、私たちのお寺は生物を扱おうと……わかります? 生物というのは元気な人たちも自由に来れる、そういうお寺づくりをしようじゃないかということで、さまざまな活動をしてまいりました。

いろんなことをディスカッションのなかでもお話をしていきたいと思いますけれども、まず私たちはどんな部分にかかわっていくのかということになります。私の行っているクリニックはすべてがターミナルの患者さんではありません。つまりホスピスではございません。一般クリニックですので、約90%が治療を中心とした方々を対象にしています。たまにターミナルの方がいらっしゃいます。ホスピスケアということを考えたときには、終末期だからホスピスケアが必要なのかと考えてしまいますが、ほんとはそうじゃないんじゃないかと。つまりその人が病んだり、慢性の病気であったとしても、病気や障害をもったときに出てくる不安に対して、総合的、統合的にかかわっていくかかわり方、そのなかにいろんなかかわり方があっていいんじゃないかというふうに思っています。

 

 

 

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