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主人と3年半、病院で暮らしている間に「心あたたかい医療というのは、ずい分前に始めたけど、こうやって末期医療の現場に行ってみると、ほんとにまだ緒についたばかしね」とよく話をしたことがあります。それで、私は主人が亡くなってから、主人があんなに一所懸命やっていた「心あたたかい医療」だから、そのときに主人と二人で出会った末期医療の現場で考えた、「これはおかしいんじゃないか」「これはちょっとひどいんじゃないか」「これはお医者さまは平気でなさるけど、家族にとってはつらいことで、お医者さまにも気づいてほしい」と思うようなことを、『夫の宿題』というのに書きました。私は書くときに、なにもお医者さまを非難しようとか、その病院を糾弾しようということではなかったんです。でも、主人は「心あたたかい医療」というのをやっていた人ですから、「自分のときには間に合わなかったけど、これから末期医療の治療を受ける方が、女房がこれを書いたために少しでもベターな治療が受けられるんだったら、自分は苦しんだけど、まあいいや」とたぶん思ってくれるだろうと思って、それを書いたわけです。

そうしたら、ほんとにおびただしい、手紙だけで120通ありました、電話もかかってきました。そのほとんど99%は、自分が末期医療で愛する人を送ったときのつらさを綿々と書いていらっしゃいました。それで「私は夫に10年前に別れましたけど」とか、「私の夫は8年前に病院で死にましたけど」という書き出しで書いていらっしゃるお手紙がたいへん多かったんですね。

私は、いよいよ主人が最後というときに、病院の先生が、「奥様、もういいですか」とおっしゃったんです。私は素人でしたからね、人工呼吸器をつけられたと聞いたときに、「ああ、人工呼吸器をつけたからこれで息がよくできるようになって、よくなるんでしょう」と思ったんですね。素人はたいていそう思うんだと思うんです、ぜんぜん医学のことを知らない人はね。それで私はよくなるんだとばっかし思っていたら、次の日に、「もうよろしゅうございますか」て言われていたいへんびっくりいたしました。「エッ、そういう話なの?!」と。そのことについては何のインフォームドコンセントもなかったんですね。それで私は愚かな話ですけど、奇跡が起こるんではないかと思ったんですね。だけどもお医者さまが、「これ以上お続けになっても、だんだんおつらさが増すばかりです」とおっしゃったので、前々から2,3日の延命のために意味のないことをして苦しめないでと主人から度々いわれていましたので「長いことありがとうございました」と申し上げました。それでお医者さまが目で合図をなさったんだと思いますが、若い看護婦さんだったか、若いお医者さまだったか知りませんけど、パチンと……そのパチンといった音がほんとに今でもゾッとするほど覚えてますけどね、でもその人工呼吸器のスイッチが切られました。それで私は主人をこういうふうに改めて見ましたらね、鼻からも口からもスパゲティ状態に管が出てました。私はこんな管のまんまで主人をあの世へ送ることはできないと思って、「せめてこの管だけでも抜いてください」と申し上げました。とっても長い時間かかったように思うんですけど、今考えると30秒ぐらいだったんだと思いますが、主人の鼻と口から管が抜けました。その管が抜けたと同時に主人はほんとに歓喜のきわみという顔になりました。今までの病気がウソのような。

私がずっと手を握っていたんですけど、手からだけというとちょっと大げさだと思います、輝くような顔の表情とか、体全体のボディランゲージもあったと思いますけど、「今おれは光のなかへ入ったから安心しろ、おふくろにも兄貴にも会った」というメッセージをもらいました。

 

 

 

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