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それでいろいろな病気で何回も何回も病院には出入りしましたけど、最後には糖尿病から糖尿性腎炎というのになりまして、3年半、入退院をくり返しました。

あるとき、うちのほうへ退院して戻っているときでしたけど、脳内出血というのになりまして、また病院へ逆戻りして、緊急治療室というところに10日ぐらいいたと思います。それで無事に意識も戻って脳の出血もおさまって、部屋へ帰ってきたんですけども、さっきも先生がおっしゃいましたけれども、ほとんど聴覚というのは最後まであるらしいです、お医者さまにうかがっても。でも、聴覚はあるけれども口がきけなくなっちゃった。こちらの言うことはわかるけども、向こうから返事が口からはこないというたいへんな事態になっちゃいまして、それが臨終のときまで続いたわけですが。普段主人はわりとおもしろいことを言って、傑作な事を言って人を笑わせる人でしたから、私はその主人から言葉を奪われたというのはとてもつらくて、悲しくて、寂しくて、それで主人の手を握り、「こうなの? こうしてほしいの?」というと、そのたびに首を振るんですね。主人が何をしてほしいのだかがわからなくて、でも、その時分には主人には筆談する力はなかったので、何とかして握っている手から主人の意思を何か感じ取るよりしかたがないということがありましてね。1年続きました。はじめのうちは私は主人のやってほしいことがわからなくて、ハラハラするし、主人はイライラするということで、「もうどうしようもないわ」と思うことが何度もありました。でも、以心伝心というのは恐ろしいものでね、柳田邦男さんという方がご子息の亡くなるまでのことを書いてらして、緊急治療室で息子さんが、意識不明でも自分たちが入ってきたことがわかって、体全体で対話をしていたと書いてらっしゃいましたけど、「ああ、ほんとにわかる」ていう感じがいたしました、それを読んだときに。やはり以心伝心というのは恐ろしくて、どうしても何とかキャッチしなければれならないということがございますので、だんだん、だんだん主人のそばにいて、手をさすり、足をさすりしながら、主人からくる沈黙の会話というのを聞くというのは、私も疲労困憊してましたけど、その私の毎日毎日を支える強力な武器となりました。

それでいよいよ最後の前の日のときに、主人はものを誤飲して、それが肺に入ってしまって、肺に入ったものは吸引して取れましたけど、食べ物にはたくさんのバイ菌がついていて、それが肺に入ったためにすごい肺炎を起こしました。主人は普通の人より肺が3分の1、ないですから、「そのためにおそらく遠藤さんはこれからの高熱に耐えられないでしょう」と先生がおっしゃって、そのとおりになりました。

それで「ちょっと奥さんは出ていてください」とおっしゃって、出ている間に人工呼吸器というのをつけられました。私のところにあとでいろんなお手紙をくださった方のなかにも、ぜんぜん私が許可しないのに人工呼吸器をつけられたという方がたくさんありましてね。なんか伺うと、事前に「人工呼吸器をつけていいですか」と聞く先生と聞かない先生とは、そのころの話です、今はどうだかわかりませんがそのころは半々ぐらいだったみたいですね。それで私が「どうぞお入りください」といわれて部屋に入ったときには、もうゴーゴーという機械の音と、パチパチという電気の信号とでただならぬことになってまして、とても主人と話をするというような状態ではありませんでした。

 

 

 

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