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それで1回目の連載が載りましたときに 300通の投書があったそうです。それで2回目のあとでは 200通の投書があって、6回ぜんぶ済みましてもまだ投書がずっと続きまして、結局投書の数が2000通になったそうなんです。それで読売ではまだその時分、あんまり医療のことをしていらっしゃらなかったそうなんですけど、医療のことってこんなに関心があるのかということになりました。それで読売というと系列は日本テレビということになりますね、その日本テレビの社長さんにもお話がいって、それじゃあテレビでもその話をしようということになって、はじめは「心あたたかい病院」ということだったんですけど、それが「心あたたかい医療」ということにだんだんなりました。

それで、さっき日野原先生が、ご自分がご病気をなさったために、医学的な知識や技術じゃなくて患者の心がわかるようになったとおっしゃってましたが、本当にそうだと思います。私は主人と41年間いっしょに暮らしたんですけどね、そのなかで主人は10回入院、8回手術しています。ほんとによく病気ばっかりしている人でした。それでしょっちゅう病院に入退院をしてましたのでね、そのなかで「これはちょっとひどいのではないか」「これはちょっと非人間的な話ではないか」という経験がたくさんあって、それを何とか少しでも改良していただきたくて、この「患者からのささやかな願い」というのを書いたと思うんです。主人がもし元気はつらつ、勇気もりもりという人だったら、たぶん入院もあまりしなかったでしょうし、入院してもそういうことに目がいかなかったと思うんですね。

結婚する前から、主人はもう空洞が3つあいていた人ですから、私は弱いことは百も承知で結婚したんですけどね。それでもよく神様に、「なんだって、また病気ですか。もういい加減にしてください」ということを何回も、祈っているんだか文句を言ってんだかわからないときがありました。でも、今考えてみますとね、本当に病気をいただいたということは、主人がものを書いていくという仕事をするためにはたいへんなお恵だったとつくづく思います。神様からそういうお問い合わせがあるはずはないですけども、もし神様のほうから、「おまえさんね、もし書くという才能をほしくなきゃ、まあ90ぐらいまで元気で生きられるよ。だけどもし書くという才能がほしいんだったら、書くという才能と病弱というのはワンセットだよ。どっちを取るかい?」といわれたら、たぶん主人は、「病気があってもいいですから書くほうをください」という質の人だったと思いますのでね。まあこの病弱であったことはしかたがないと思います。書くという仕事をするために、やっぱり弱い人の立場というのが知識でなく、自分の体験で、自分の経験でわかっていたということは、やはり主人にとってとてもプラスなことだったと、今になって思います。

フランスの20世紀の哲学者で、カトリックの神父さまでいらっしゃるテイヤール・ド・シャルダンという人が、「人生というのは絨緞を織っているようなものだ」とおっしゃっているそうです。シャルダンが言うのは今は機械でも織れますけどね、もちろん手織りの話だと思います。絨緞を織るというのはたいへん退屈で、つらくて、苦しい仕事だそうです。しかも自分が毎日毎日一所懸命織っているのにその成果はぜんぜん見えない。どうしてかというと、絨緞は裏側からしか織れなくて、どんなにきれいな模様を織っててもそれが見えないそうです。それで今、主人が織った絨緞はどんな模様だったかなと、主人が亡くなってから主人の織っていた絨緞をひっくり返して見ているというところですけどね、ほんとに信仰という縦の糸と病気という横の糸でこの人は一生絨緞を織っていたんじゃないかなと思うほどでございます。

 

 

 

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