カール・ヒルティというスイスの学者が言っております、「なにごとにつけても『自分はそれを失った』と言ってはならない。『自分はそれを返した』というべきである」と。「君の息子が死んだなら、それは返したのである。君の息子は君のものではないのだ。君の財産が失われたら、これもまた返したものだ。裸で生まれたのではないか、財産をもって生まれてきたわけではない、その財産を奪ったのはたしかに悪人である。しかし、贈り主が誰の手を通してそれを取り戻そうとしても、君に何のかかわりがあろう。誰が取ってもいいではないか。彼がそれを君にゆだねる間は、それを他人のものとしてあなたは所有してもよいが、一夜泊まりの旅人が宿屋をそのように利用するように、あなたは一時的に使わせてもらっているのにすぎないのだ」と。カール・ヒルティは夜眠れないと訴える患者に、2ページずつの小さな文章を書いて、それを読んだらたぶん心が静かになって眠れるであろうという『眠れぬ夜のために』という本を書いているわけです。
私は去年、『道をてらす光』という本を出しましたが、そこにこの言葉を紹介しています。私はこのヒルティの言葉を読んで、「すべてが私たちは与えられた、仮のものだ。裸で生まれたんだから、裸で帰るのがあたりまえではないか」という非常にスッキリしたものの考えをもつようになったわけであります。
私はいろんな出版社から原稿を頼まれます。最近は婦人之友社から発行されている『明日の友』という雑誌の編集部から「ついの住処と老いの迎え方を書いてください」と頼まれました。それを聞いて、私の心境は、「ひとごとではない」と思いました。文字どおり自問自答で、私は考えなくてはならない、そういうように思ったわけでございます。
私の今の心境では、これから少しスローダウンするかもわかりませんけれども、それはやむをえない。でも、できるだけ長くいつも何か新しいことを考えて、日々新たな思いで過ごしたい。それがはじめにもお話ししたように、89歳になって脚本をつくって、それを音楽劇にするというハプニングを生んだのです。だから私は、75歳以上の老人に呼びかけて、今までやらないことに挑戦しなさいと。絵が描けない、あるいは歌がつくれない、あるいは編み物ができないというのは、才能がなかったからではない、不器用だったからでもない。あなたがそれをする機会がなかったからだと。癌を3回手術をした人が、また再発するのではないかと恐れて、自分で経営している会社もやめるという。その社長さんに「あなた、絵でも始めたらどうですか」と勧めました。「私は絵は下手だ」と言う。「あなたは絵の先生と相性が悪かったのではないか?」と聞くと、「あいつは嫌いだった」と。「だから、描くというチャンスがなかったのではないですか」。そうして、彼は描きはじめたら、だんだん癌ノイローゼが治って、はじめは静物やら風景を描いていたけれども、このごろはもっぱら裸婦を描いている。そして、10年後には銀座で個展をやるまでになった。それは素質、遺伝子はあるのだけれども、機会がなかったのです。だから、私はここに来て75歳以上の人に、「今までとぜんぜん変わったことに挑戦してみなさい。そして5年、10年やってごらんなさい、その発表会をしましょう」と勧めているのです。きっとすばらしい作品ができるでしょう。
15〜64歳までを生産人口といいますが、日本はますます少子高齢化が進みますから、生産人口は減り、高齢者がふえるという頭でっかちになるわけですね。医学が進歩するというのは、病気を治さないで長生きをさせることですから、医学が進歩すればするほど病人が増える。これは間違いないことです。医学が進歩すればするほど病人が増える、医療費が増える。29兆円の医療費がこれ以上ふえると健康保険制度は成り立たなくなってしまうような危機にある。ですから75歳以上は死が近いなどといってオロオロしていないで、もう一度生産をしなさいと言いたい。そしてできればボランティアをやりなさいと。そのようにして自立を促すことを私は言うために、「新老人運動」を考えついたのです。