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70歳を過ぎないとこれができないかと思う人がいるかもしれませんが、けっしてそうではありません。私たちのホスピス、ピースハウスで昨年亡くなった人は27歳で、胃癌でした。胃癌ということを当人に言わなかったから、フィアンセとエンゲージをしたわけですね。両親はハラハラしたのですが、ハワイで胃が痛くなって病院へ行ったら「癌ですよ」と言われた。はじめて癌ということがわかった。死の1週間前に葬儀屋さんを呼んで、両親の前で、「私はじめじめしたお葬式は嫌いだから、長野県の古いお寺さんとの関係があるから、そこからお坊さんを呼んで、私はロックやジャズが好きだから、それをかけて、そして花は簡単な野の花で、私が出ていくときにはずーっと好きな湘南の海を見せて、そして私が働いていたホテルの前を通ってお寺まで連れていってください」ということをすべて頼んだ。お小水を若いナースに取ってもらうのがいやだといって最後までトイレへ行った。死ぬ前の日に私は往診したのですが、「今立ったら卒倒するから、今日だけは寝たままで下のことをしてもらいなさい」と。無理やりにナースがやった。あくる日亡くなったときに、ホスピスの看護婦さんが、「あれだけお風呂に入りたい、自分で清潔にしたいといっていた人だったから、清拭をしないで普通のお風呂に入れましょう」といって、許嫁とナースがいっしょにお風呂に入れて、きれいにして、そうしてホスピスから彼女の言いおいた通りに送り出した。私たちのホスピスは亡くなったから裏口から出るということはなくて、正面から堂々と送り出します。入院している人も見送りするし、そうしてまた望まれれば、ホールでお別れの会をやります。そこにはあとひと月ほどで亡くなるピアニストが入ってきて伴奏して、賛美歌の別れの歌を歌いました。私は彼女に、「あなたが亡くなるときには私がピアノを弾きますから」と言ったら非常に喜ばれた。そして、彼女もまたひと月後には亡くなった。

そういうようなことは普通の病院ではできないのです。ホスピスというのは特別なところです。現在、日本では毎年27万人の患者が癌で死ぬのですが、ベッドは日本中に1500しかはないのですよ。私は、一昨年、シシリー・ソンダース先生と対談をしました。ソンダース先生は近代ホスピスの創設者です。「あなたは何をいちばん望まれますか」と聞くと、「早くホスピスがなくなればよい」とおっしゃるのです。「どういうことですか」と聞くと、「どこの病院でも、家庭でも、そこがホスピスであるようになってほしい。それまでは私たちが頑張らなければならない」と。すばらしいではないですか、ホスピスをつくったそのパイオニアが、ホスピスがない日を願っているということは。人間というのは体ではない、心であるということです。私たちの体は土でできた器で、欠けたりヒビがいる。でも、その器にどんな水を容れるかが私たちの宿題なのです。私たちは、心を容れる容れ物である体を大切にするのだけれども、容れ物は壊れる、老化する、あるいは痴呆になる。これはやむをえないことです。人間が死ぬというのはどういうことかというと、リンゴに種があるように、人間は精子と卵子が出会ったときにすでに死の遺伝子をみんながもっている。死ぬべくして生まれてくるということです。体は心を入れるから尊いのです。そして目的はどのようなきれいな水を私たちの体に入れるかということです。動脈硬化やあるいはいろんなことでその器にヒビがいり、欠け、水は洩れて、大地に帰るでしょうが、その水はまた吸われて木を成長させ、そしてまた人間の飲み水となってすべての生き物に還元される。これは、亡くなった人の心がどのように子どもや孫や友人に伝えられていくかということでもあります。

 

 

 

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