今はどうでしょうか。死んでゆく人を病院で見ると、みんな苦しんで死を迎えているのではないですか。医学や科学の進歩が、人々から苦しみを取らないで、命だけ延ばしているということがこのような結果をもたらしているといえるのではないでしょうか。ただ命だけを長くするのではなく、ものが感じられ、ものが考えられるような人間としての特権が最後の瞬間まで果たせられるようにすべきではないでしょうか。モルヒネその他でやんわりと苦しみを取って、最後には「生きてきてほんとによかった。お世話になったね」という一言を言うことによって、家族の人は「よかったねえ」と最期を見送ることができる。その前にはどんなにつらい手術や化学療法があるかもわかりませんが、亡くなる1週間前からはほんとうに痛みが癒され、そしてむかつきが取られて、そして音楽を聞きながら、子どもや孫が傍らにいて、眠るように死ねるということはすばらしいことではないでしょうか。こういうように感じられるように親しい人の死を看取ることができれば、死のあとの悲しみも癒されるのではないでしょうか。「私たちは全力でやったのだ。おばあちゃんもほんとによかったよね」と思うことができる。「私はなにも子どもや孫にできなかったけど、生きてきてよかったよ」という感謝の気持ちをもってこの世を去ることができれば、その死がすべての悲劇に喜びを与えるようなものになる。そうでないから「ああ、悪かったね。残念だ、手遅れだったね。なぜ気がつかなかったのか、癌の発見が遅かったのか」といつまでも自分を責めつける。悲しみが2年も3年も続く。そして、それがまた癌恐怖症などを引き起こして、病院めぐりに明け暮れたりする。
骨髄腫という癌で亡くなったある婦人、この方は75歳で亡くなったのですが、熱心な仏教信者の方でありました。私たちが経営しているホスピスが7年前にできたのですが、その1年前に、「先生、早く先生のホスピスをつくってください。そして私の癌を癒して、苦しみがなく最後を送らせてください」て言っておられた。私たちのホスピスの完成には間に合わないから、長岡にある日本で最初の仏教ホスピスを紹介しました。私は、いよいよ亡くなる1週間前にお見舞いに行きました。もうほとんどものを言わないで、目をじっとつむっているのに、私が手を握って耳元で声をかけたら、目をぱっちりと開けて、ものすごく美しい笑顔をつくられた。家の人がびっくりされていました。死が近い人でも、目が見えなくても耳のほうはよく聞こえるのです。「日野原が来ましたよ。あなたのところに来たんですよ」と言ったら、彼女は毅然として、「先生は本のなかにこう書いておられました、『人間の生涯の999が悲劇であり、人から裏切られ、子どもから裏切られるというようなことがあっても、最後の1がよかったら生涯全体がいいんだ。逆にいくら999が恵まれ、人からうらやまれるような、そういういい生活であっても、最後が悪ければ全体が悪い』と。私は痛みはあったけれども、先生の指示でモルヒネを使い、そしてこのホスピスに入れてもらって、自分の生涯の記録をワープロでぜんぶ書き上げて、そして死んでゆく。その準備を私にさせてくださったことを私は感謝します」と。私はそれを聞きまして、これは死の勝利だと思いました。ベートーヴェンの交響曲9番の歓喜のコーラスでも聞かせてあげたいような気持ちになった。「死もまた勝利である」とつくづく思いました。そして傍らで看とっている息子さんやご主人たちが、「ママ、がんばってよくやったね」と語りかけていました。彼女は財産の整理をして、葬儀の手配などまで準備をして、立派に死んでいった。