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ここで一回もお医者さんのところへ行ったことがないという人があれば、ちょっとその人には悪いのですが、皆さんがいくら元気そうでも、精密な医療機械で診ればみんな欠陥がたくさんあるのですよ。もの忘れをするからMRIで脳の断層を撮ってくれという人がおられますが、お医者さんは案外撮ってないのです。手の打ちようがないのなら、それは知らないほうがよいというのでしょう。皆さんの主治医に聞いてごらんなさい、「先生、撮りましたか」と。お医者さんでも自分が悪いということを知りたくないというのは素人と同じなのです。

さて、死について考えるという人はどういう人なのでしょうか。芸術家は考えるのか、作家は考えるのか。あの井上靖先生でも、ご自分が健やかで、盛んに作品を書いておられるときは、かなり年配になっても、自分の死について深く考えなかったということを率直に告白しておられます。それを次のような文章で表現しています。「父に死なれてみて、はじめて私は父という一枚の屏風で死から遮られていたことを知ったのである」と。お父さんが元気でおられる場合には、お父さんが屏風になって死の海が見えなかったと。「ところが父の死は死から私を遮っていた屏風が除かれたことであった」と。父の死を通して自分の死が見えるようになったと。「父に亡くなられて、私ははじめて自分の行く手に置かれている死の海面を見た。死と自分との間はいやに風通しがよくなって、妙に寒々とした感じである」。しみじみと死がやはり近づいてきたということを作家の井上さんが感じられている。

死への準備教育、デス・エデュケーションというのは、ソクラテスの時代から哲学者や宗教家によって繰り返し語られてきたものでありますが、これが近代医学が進歩するなかで死を観察するということがなされるようになったのは今世紀の半ば過ぎてからのことでした。科学がまだそれほど進んでいなかったときには語られたのですが、今、科学がこれほど進んだのに、死後はどうなるかということがようやく語られ始めてきたのであります。

私が尊敬しているウィリアム・オスラー先生は1919年にオックスフォードで70歳で亡くなられました。オスラー先生は牧師の息子で、8人兄弟で、そして医者になるのですが、オスラー先生の書かれたものや講演集を読んでみて、「医の道」というものはどんなものかを私は学んできたのです。オスラー先生は、今から105年前、「死の行動の研究」をされました。どうして資料を集めたかというと、病棟で死んでゆく人が最後に何を語るか、どのように苦しんで死ぬかについて、495名の症例を集めたのです。

同僚は「死の研究なんて、それは非常に冒涜になるから、それはやめたほうがよい」と反対したそうです。さすがのオスラーもブレーキをかけられたけど、勇気を持って研究を続けました。その結果、オスラーが言ったことは、「わずか18%の人だけが苦しくて死んでゆくけど、あとの82%の人は眠るように死んでゆく」と。100年前のことです。

 

 

 

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