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仲良くなった次に、こんどはものごとを言葉として語りかけていくということです。「今、あなたのおとうさん、あるいはおかあさんは、こんな状態なんだけども、いったいどんなふうに感じてるの。もしよかったら教えてくれない?」というお話をしていきます。それは私であったり、ナースであったり、あるいはソーシャルワーカーであったり、その役割は誰ということはありません。ただ、私たちのなかでは、そのチームが役割をそれぞれしながら情報交換をしていくということをしております。

ご自分のことを言葉としてまだ感じることができないお子さんたちには、その現場にできるだけいていただくことだと思っております。先ほど、日野原先生が、『葉っぱのフレディ』ということをおっしゃいましたけれども、ご家族にそういう本をお渡しして、子どもさんにどのように肉親の死を伝えているのかということを聞きます。案外と子どもさんには、ご自分の肉親の死ということについて、ぎりぎりになるまで伝えてないことが多ございます。私たちは、家族の構成を調べ、お子さんたちがいる場合に、どのようにご家族が子どもさんにその事実を話しているのか、あるいは話していないのかということをさぐりながら、お子さんたちに自然なかたちで事実に接することができるチャンスを与えています。ご自分がまだ言葉として表現したりあるいは考えたりすることができないお子さんたちは、目の前で起こっている事実を気持ちとして受け取っていくだろうと思います。

その子どもさんたちの後の問題なんですけれども、私たちのボランティアの活動のなかに、ご家族とご遺族のためのクラブがあります。そこに来ていただく。これはあくまでも自発的なことなんですが、そこに来ていただいて、お互いに同じ立場で話し合っていただく。そのなかで少しずつ新しいエネルギーを得ていただくというかたちになっていくと思います。

私たちのホスピスのなかでは、子どもさんたちは一つの命です。少し今の話題からははずれますが、子どもさんたちがホスピスのなかで駆け回っている姿は患者さんたちに大きな安らぎを与えます。けっして邪魔ではありません。最初ホスピスに来たとき泣いていた子どもさんたちが日常的な笑いを取り戻していく、その過程こそがとても大切なのではないかと思います。子どもさんたちを見ながら、ほかの患者さんたちが笑顔で見守っているという光景が大切なことではないかなと思います。

意図的に、子どもさんたちに長期的なケアを行なっているということはありません。あくまでも自発的にそういうクラブのなかでお互いに面倒を見合っていくというのが現状でございます。

松島 はい、ありがとうございました。3人の方のお話を続けてうかがいながら、たいへんなこの状況を隠しあうとか、話すということではなくて、その場を共にする、そして語り合うというところに、苦しさもまた乗り越えていく力になるのかなということを感じながらうかがってまいりました。家族の問題について、最後に沼野さん、亡くなられた後のご家族とお会いになることはございますでしょうか。

沼野 亡くなられる前のお話を先にさせていただいていいですか。家族の方が癌になった、ましてや末期癌で余命があとどのぐらいということをお聞きになられた場合に、ご家族によっては、たとえば趣味の生活をされたり、パートに出たり、いろんな日常生活のバランスをとっておられると思うんです。ホスピスまでたどりついたある奥様が来られて早々に、「主人のために私はこの3年間、棒に振ってきました」とたいへんお怒りになった奥様がいらっしゃいました。3ヶ月の命だと聞かされていたのが3年経ったっておっしゃるんですね。癌の場合は、家族の方が自分の生活のバランスを崩してまで精一杯なさるということがあると思います。そこまでなさらなくても、先生方のいろんな病状説明にしたがって精力をはたされるという姿をよく見るんですけれども、長く時間が経ちますと優しくなれなくなるという事実があります。いちばん最悪なのは、精一杯家族のためにと思って、ご自分がその生活にあわせておられたところ、ご自分の生活のバランスを失って優しくなれなくなったときに死がきた場合、大きな後悔が後々残るわけですね。

 

 

 

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