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じつは、昨日のことなんですが、私の同僚がおとうさんを亡くしました。事情があって私のところではなくて岡山市内の総合病院に移ったわけですけれども、だんだんと血圧が下がっていき、そのそばで私の同僚である医師とおかあさまがずっと手を握っているときに、「血圧を測らせてください」というナースが来る。そして「今私たちはそういう状況ではないんだ」ということをお話ししても、「じゃあ看護記録にどう書けばいいんですか」とナースが答えた。信じられないような本当の話です。そういう医療の文化をかもしだしていく教育の一つは問題ではないだろうかと思います。

もう一つ申しますと、場所はどこであってもいい。しかし、そのなかで何を目標にしてケアをしていけばいいのかということがはっきりし、その目標が達成させられることができるように最大限努力をしていく必要があるのではないだろうかと考えております。

松島 ありがとうございました。

まさに施設か在宅かということではなく、その方がどこで迎えられるのか、その場所が選べるということが大事かと思います。今日お集まりのほとんどの看護婦さんがホスピスよりも一般病院で働いている方が多いかと思います。そういったときにも、今、加藤先生が最後におっしゃったような文化というところが育ってくる。それに今、一人ひとりが「死」を見つめることの大事さを感じるように思います。

では、2番目のテーマに移ってみたいと思うんですが、一人の人が死ぬ、それはまた残される人がいる。自分の大事な人を失うという家族の側があります。そういう面で、家族の問題について、2、3の方からご質問をいただきました。療養中に、あるいは亡くなったあとのご遺族をどのように支援したらいいのかというご質問もありましたので、ご家族のことに触れてみたいと思います。田島さんは、ご両親をということでしたので、少しご家族の立場からお願いいたします。

田島 たしかにまだ日本のホスピス活動はたいへん弱いと思うんですね。つい最近、ある機関が調べたところによりますと、日本の亡くなった方のうち施設・在宅に限らず緩和ケアとかホスピスケアを受けた人の割合は日本は0.6%。アメリカが23%ぐらい。イギリスが30%と。淀川キリスト教病院の柏木先生にお聞きしたんですけれども、台湾、シンガポールは40%とか50%というふうにお聞きしております。選択の余地がないというのはたいへん辛いことですが、二十数年の間を空けて、母、父と同じ病気で亡くしました。母は東京の総合病院、父は埼玉の総合病院で、2人とも3ヶ月ちょっと入院をして亡くなりました。変な話ですが、23年ぶりに癌の親を見舞いにいきまして「変わったなあ」と感じました。まず一つ、病名を家族と本人にやや微妙でしたけれども伝えてくれました。それから背骨に転移してから病院に担ぎ込まれましたので、痛みが激しかったものですから、父の時にはその痛みを取るためにすぐ麻薬系も含めた鎮痛剤を使っていただきました。母のとき、今から26、7年前でありますが、もう苦しんで苦しんで、「うちのおかあちゃんはこんなにだらしのない人だったのか」と、なさけなくなるくらい「痛いよ、痛いよ」と言っていても何ひとつしていただけなかった。それを考えますと、たまたまめぐりあわせですが、ホスピスにかかわってきてよかったなあというのが、家族として、医療人のはしくれとして思ったことです。

 

 

 

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