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田島 長い間、高齢者の福祉や医療、事務、管理として携わってきて、非常に気になることは、老人福祉施設が今、1万7000カ所ぐらいあるのですが、施設のなかでお亡くなりになる方が非常に少ないんですね。地域差がありますから、四国、香川県はよくわかりませんが、たとえば静岡県、私が6年間いた病院ですと、まわりの特別養護老人ホームのなかにはもう5年も6年も施設のなかで息を引き取った方がいらっしゃらないという施設があるわけです。ご承知のように、5年、10年と暮らしていて、寮母さんとも顔なじみといいましょうか、家族同然で暮らしていた方が、最後に息を引き取るときには病院へ向かう救急車の中であったり、病院の無味乾燥なタイルで、冷たい緊急処置台の上で亡くなっていく。そういうケースが非常に多いわけです。

日本の医療や福祉等の仕事が、人間の死というものをじょうずに隠すようなことをしてきたのではないかなというふうに思います。これは語弊があるからあまりこういう公の場で申し上げたくないんですが、口が軽いから申し上げますが(笑)、たとえば100人収用の平均年齢が87歳ぐらいの特別養護老人ホームで、インフルエンザで5人の方が亡くなったというと、大きな新聞記事になってしまうんですね。しかし、私はドクターではありませんから断言はしてはいけませんが、インフルエンザは死ぬ病気だと思います。けっして軽い病気ではなくて重たい病気でございます。平均年齢70、80、90歳となれば、たいへん危険な病気です。管理が悪いというような叩かれ方も施設がされます。だからよけいに医師のもとで死ぬというようなことが横行しております。ご家族がいない方でも、長年いっしょに暮らしてきた寮母さんの手を握って、亡くなったほうがよっぽどいいと思います。病院に来て、救急室で看護婦を見ながら死ぬのはよくないとさかんに言ったんですけれども、なかなか変わってくれません。先ほどのお話のなかでも、死が非日常化してきているというのかなとすごく感じます。

私がまだ25歳のときに母が47歳で亡くなりましたから、ある意味では昔風の親を看取ってまいりました。しかし、私の働いている有料老人ホームのなかには、80歳で、先月おかあさまのお葬式をやってきたという方がいらっしゃるわけです。おかあさまが 102歳でありました。こういう方は、ご自分がもう80歳を越えていらっしゃるんですが、身近なご家族の死と向き合わないまま長くなってきている。日本の高齢化が急速に進んだためにというんでしょうか。教科書的なことを言いますけれども、急速に進んできたために、世代間の「死」というものはおそらく文化だと思うんですが、そういうものが消えてしまっている。一方では大家族がなくなって、おじいちゃんが亡くなったというときには病院の霊安室で対面するという死との向かい合いができなくなってきている。これはこんな短いところでは討論できないと思うんですが、おそらく日本人のこういう人生80年、90年時代にふさわしい死生観みたいなものをもっと考えていかないと、なかなか難しいのかなという混迷した思いしか言えないんですけれども、そんな感じでございます。

松島 ありがとうございました。今、日本のホスピスは、癌とエイズが対象で、ほとんど癌の患者さんを中心に発展してまいりましたが、もっと多くの高齢者の終末期という問題は非常に大きなことかと思います。これ以上その時間を取ることができませんが、その点も今後の課題として取り組む必要性を感じますが。

もう一つ、死の向かい方ということで、場所の問題に触れてみたいと思うんですが、ご質問にもありましたけれども、今はホスピスとか病院、施設の中で死を迎えることが多いですが、在宅ケアはどうなんだろうか、家で看取るということについてのご質問がありましたので、加藤先生、少しその点について。

 

 

 

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