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松島 ありがとうございました。ご体験からのたいへん印象的なお話だったと思いますが、最後に沼野さんがおっしゃったように、自分のことを語れるということの大事さがありました。しかしなかなか語れないということがありますね。むしろそれが怒りになってしまったり、言葉が出なくて黙ってしまう。和田さんに伺いたいんですが、日々、たくさんの患者さんにお会いになられて、前向きに最後の時を過ごされる方も多いと思いますが、むしろそうではない、自分を語れない、むしろ別のかたちで表現される、そういう方に出会われた経験もおありかと思いますが、そのへんを少しお話しくださいますか。

和田 ホスピスのなかでは、ご自分のご病気をご存じで入っていらっしゃる方がほとんどですけれども、やはりまだ治りたいという思いが強かったりして、その現状を受け入れられない方がいらっしゃいます。最後まで「がんばりたい、がんばりたい」と言って、何度も「病気について、どういうふうに思われていますか」とお話を伺うんですけれども、「私は治ると思っている」と訴え続けて、最後まで過ごされた患者さんがいらっしゃいます。

私は、その患者さんの受持ちナースだったんですけれども、どういうふうにしてその患者さんに今の状況を伝えていこうかとか、ほんとにこのままでこの方は亡くなられていいのだろうかということをすごく悩みました。でも、現実ばっかりをその患者さんにお伝えしていくのがベストだというふうにはどうしても思えなくて、患者さんの希望を支えながら、その患者さんといっしょにいることを大切にしながらいつもそばにいるというケアをしてきました。

亡くなられる前々日に回診があったんですけれども、そのときに先生が「今、私に注文がありますか」とお聞きになったんですけれども、そのときの答えもやはり「治ることです」とお答えになりました。

結局は、最後まで希望をもったままその方は天に召されていったんです。そのケアを振り返るなかで、すべての人が死を受容して、「ありがとう」と言って死んでいくことがベストの死ではなくて、その人にはその人なりの死があって、その方にとって精一杯その時を生きられた、それしか方法がなかったんじゃないかなあと今になって考えています。何もがんばられなかったわけではなくて、自分の体の弱りを感じて、そのなかでも一所懸命動こうと努力されていた姿が頭に残っているんです。その時々をその人の希望にあわせて受け止めていくことも、形としてきれいな死ではなかったもしれないですけれども、大切なことなんじゃないかなと思っています。

松島 ありがとうございました。事実を伝える事ばかりではないのではないかというお話をされました。もしかしたら、ご本人がいちばんその事実をわかっておられたのかもしれません。でも、そうでないと言いたかった。それを聞いてくださる方がおられたという、そういったこともあったのかなあと、うかがいながら思いました。怒ることしか言えない、あるいは希望をもつ、もう絶対に無理なのにそれを言う。でもそれを受け止めてケアを続ける看護婦の姿が支えになったのかなあというふうに思いました。

ここで一つ、ご質問をしてみたいと思うんですけれども、和田さんのところもそうですが、ある意味では、できるかぎりそばにいてということでした。ご質問の方は、高齢者の方にもかかわっておられる方かと思いますが、ある意味では癌の患者さんでホスピスに入れる方ってしあわせなんじゃないか。たしかに病気は大変なんだけれども、むしろ年を取っていくということで、いろんな人から一つひとつ、日々失っていく。そして死を恐れ、どこかで邪魔者扱いされ、いつという期限がすぐくるのかもわからないなかで年を取っていく。高齢者の終末期の問題ということはもっと深刻ではないかというご意見がありました。田島さんはそういう現場にもおられて、またホスピスの患者さんもご存じですので、少しご意見をお願いします。

 

 

 

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