日本財団 図書館


「それは音楽を通じてでなければ光が生涯について表現しえなかったはずのものであり、ぼくや妻、彼の姉妹も、決して受け止めることができなかったはずのものです。ぼくは信仰をもたない人間ですが、恩寵−グレイスということを音楽に見出すといわずにはいられません。この言葉を品のよさ−グレイスとも、美質−グレイスとも、感謝の祈り−グレイスともとらえたい思いで、ぼくは光の音楽とその背後にある現世の自分たちを越えたものに耳をすませているのです」

私は日常性の向こうに、なにか自分たちを越えたものの余韻を感じながら、自分の死、あるいは患者さんの死というもの考えております。

松島 ありがとうございました。日常的な死、またその日常を越えたところにあるものというお話でしたが、沼野さんも患者さんのお話を聞かれることが多いと思います。どんなふうにお考えでいらっしゃいますか。

沼野 今、患者さんから受ける死への体験をお話ししてくださいました。それとはちょっと違うんですけれども、こういう仕事をずっとしておりましたら、けっして慣れたくはないけれども患者さんの死というのはやっぱり他人の死なんですね。

私にとっては特殊な体験というか、一つの警告のような気がするんですけれどもこういう職業に就いている者に対して、「自分自身の死というものを考えなさい」とまるで天からお告げをいただくかのようにして、ある時期ごとに自分の死ぬ夢というのを見てきました。患者さんから学ぶことはたくさんあって、ときには涙を流すこともあるんですけれども、やっぱり自分の死というものに対しての距離があいてるというんでしょうか。いちばん最初、28歳のときに自分が死ぬ夢は、その当時、深くかかわっていた患者さんと同じ病名の告知をいただくところから始まるんです。そのときに、随分いろんなことを考えさせられて、夢のなかではたいへん泣いております。そして、その当時働いていた病院の先生に診ていただいて、いろんな病状説明を聞いているような夢になっておりました。翌日、病院に出勤したら、その先生との夢の中の世界が続いてるような気がして、ついつい「昨日はありがとうございました。命、大事にしていきたいと思います」なんて挨拶しなきゃいけないようなリアルな日々がしばらく続くんですね。それからまた普通の日が戻って、自分の死が少し遠のいてくると、「あなたは自分の死というのを忘れてませんか」と問われているかのようなリアルな夢をこの約13年ほどの間に4回ほど見ました。

それは夢の世界の出来事なんだろうというふうに考えるわけでありまして、ある程度時間が経ったら、少し薄らいできて忘れるという体験ですけれども、じつは8月ぐらいから、左の腕のところに硬いしこりを見つけまして、先週の月曜日に手術をする必要があるといわれました。それが良性なのか悪性なのかがわかってなくて、たぶん良性だろうと言っていただいてます。私にとっては非常にショックなことで、明日が手術の日なんですけども、先週1週間、セミナーのためにいろんなことを準備していました。どういうわけか、自分の命というものとか、それから患者さんとお話をしてましても、前は非常に客観的に、いわゆる医療者として聞いてたのが、「患者さんはこういうときどういうふうにして乗り越えていかれたんだろう」ということに関心をもつようになりました。いっしょに働いている職員は、元気でありまして茶化しますし、明日の手術の麻酔の注射がいかに痛いかとか、怖がるような話ばっかりしてくれるんですね。でも、本当に親身になって話を聞いてくださったのは患者さんなんです。

自分の事実を、とくに親しくしている現在進行形でホスピスに入ってらっしゃる患者さんにお話しをしました。「じつは私にも腫瘍ができたんですけれども、それがどういうものか今はよくわからない。月曜日に手術をするんだ」という話をしましたら、患者さん方がとっても親身になって、自分の経験を一所懸命語り合ってくださっているんですね。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION