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私が勤めました淀川キリスト教病院は、私が勤務をいたしまして2年経ったときにホスピス病棟を開設するということになりました。ホスピスという病棟がどんなところかよくわかりませんでしたけれども、いちばん最初のチームに加えていただくということになりました。それまでは一般病棟をかなり普通に回っていたわけですけれども、だんだんと「ターミナルケアの沼野さん」というふうに言われるようになりました。ホスピスの沼野と言われるようになって、最近ではときどき一般病棟にまいることがあるんですけれども、この人が来たらなんか最後だというような目で見られまして、心のケアをしなければならない私がですね、一般病棟に出向きますと死神のように思われているわけであります。

会場 (笑)

沼野 それから、新しくできるホスピスにお声をかけていただいて、4つのホスピスで勤務をさせていただくという機会に恵まれました。現在は3つ目と4つ目のホスピスで仕事をさせていただいています。心のケアといいましても、患者さんやご家族の方はもちろんのこと、スタッフの心のケアもそのなかに入っておりまして、今日は約13年間の4つのホスピスでの経験をまぜまして、皆様方とごいっしょに生と死について考えることができたらたいへんうれしく思ってまいらせていただきました。よろしくお願いいたします。

松島 ありがとうございました。沼野さん、チャプレンとお呼びすると少し慣れないので、カウンセラーというふうにお呼びしてよろしいでしょうか。

沼野 はい。

松島 ありがとうございます。それでは田島さん、お願いいたします。

田島 田島でございます。エデンの園という名前を聞いて、何なのかなあと思われた方、いらっしゃると思いますが、べつに私ともう一人女のイブだけで、二人で暮らしているわけではございません。日本でも最大級だと思うんですが、516名、平均年齢77歳のお年寄りが終の住処として権利を買い取った老人マンションの管理、それから併設しております116床の老人保健施設、ドクターが3名いる19床の有床診療所、訪問看護ステーションが2カ所など、全体で11ぐらいの施設を奈良県で運営しておりまして、そこの全体責任者として1年前から赴任しております。

最初は保育所の男の保母さんということで7年ぐらい働いておりました。たまたまほかの施設の開園式のときにご祝儀を数えておりましたら、「お金を数えるのがうまいな」ということで、管理部門に異動させられた。

私が病院や福祉施設の運営管理の仕事をするようになったころに、聖隷三方原病院というところが、私の前任でございますが、ホスピスをつくりはじめました。21年ぐらい前からその建設計画に若干携わり、そのあと事務長を6年間、昨年までやっておりまして、その間に建て替えの仕事をやってまいりました。淀川キリスト教病院から、4年前に全国のホスピスの連絡会の事務局を引き受けまして、その仕事もやってまいりました。

それから、母を26年前に、父を3年前に同じ肝臓癌でなくしておりまして、私はいつなのかなあと思いながら暮らしているわけでございます。そのなかで家族の立場から、病院のことをよく知っている、あるいは看護婦さんの勤務形態などもよく知っている立場の家族として、とくに父の場合は半年間、ちょっと遠かったのですが、毎週行って見てまいりました。病院の管理という立場と、そして癌……自分も癌になりかかっているかもしれませんが、癌患者の元家族という立場で今日はお話しできたらと思っております。ひとつよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

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