国際的ベストセラーの『第三の人生』をはじめとして、『死とどう向き合うか』『ユーモアは老いと死の妙薬』『日本のホスピスと終末期医療』など、多くの著作をおもちで、私ども日本財団会長の曽野綾子とは『旅立ちの朝に――愛と死を語る往復書簡――』の共著がございます。
本日は「新しい死の文化を考える」と題しましてご講演いただきます。それではデーケンさん、よろしくお願いいたします。
memento mori 香川2000
講演II.「新しい死の文化を考える」
講師:アルフォンス・デーケン
ご紹介に与かりましたデーケンです。生まれたときはドイツ人でした。あとでフランス、スイス、イタリア、アメリカなど12カ国で生活して国際人になりました。日本に骨を埋めるつもりですから、心のなかは日本人です。
今、上智大学で、主に「死の哲学」を教えています。ですから、上智の学生は私について話しますとだいたい「死の哲学」のデーケンと言っていますけれども、最近は何でも省略しますから、シテツのデーケンと言っているようです。もともと私は国鉄のほうが好きでしたけれども……。
今日の私のテーマは「新しい死の文化を考える」です。全体のテーマは「『死』をみつめ、『今』を生きる」ということですね。やっぱり私たちは、いつも「死」をみつめることによって、今の生き方について深く考えることができるのだと思います。
まずちょっと文明と文化を比較してみましょう。文明は物質的、技術的な面での進歩を指すことが多いのです。たとえば今年つくったカメラは去年のものよりもすぐれた点があるでしょう。あるいは医療技術や、薬の使い方などは、毎年改善されます。しかし文化というのは人間全体にかかわることです。たとえば教育とか人間の思想とか、価値観、あるいは文学や芸術、音楽などについて考えますと、必ずしも現代の方がまさっているとはいえないんですね。今年書かれた小説は明治時代に漱石が書いた小説よりもすぐれているとはいえないし、今年作曲された曲が必ずしもベートーヴェンのよりもすぐれているとはいえませんね。文化というのはそういうものです。ですから近年死をタブー化したということは、けっして文化的進歩ではなかったと思います。たとえば患者が、自分の病気について何も知らされないまま死を迎えるようなことは避けるべきですね。これからの新しい死の文化といいますと、それは新しい生き方の文化を考えるという意味になります。つまりみんながどういうふうに人間らしく死を迎えるかということです。それは、同時に最後までいかに人間らしく生きるかを考えることになります。
まず第1に、「出会いと別れの意義をみつめる」ということを考えましょう。私は日本語の「出会い」という言葉がとても好きです。出て会うと書きますね。出会いはとても美しい体験ですが、別れはいちばん悲しく苦しい体験になります。
しかし、私たちは遅かれ早かれ、どうしても愛する人の死を体験しますし、やがて必ず自分自身の死にも直面しなければなりません。日本人の平均寿命は今、ずっと世界一をつづけています。これはすばらしいことですね。日本の男性はドイツの男性よりも長生きします。ですから私は日本に来ました。賢いですね。