仏教では生・老・病・死とあって、それからは逃げることはできないといわれています。したがって私たちは生・老・病・死の運命を本当に受容しながら、ソクラテスが言ったように、ただ生きることではなくてよく生きることが私たちの生涯の課題であるということを胸に刻みこまなければならない。ソクラテスの解釈によれば、生・老・病のうち、どのようにすればよく老いることができるかということを老人自身が考えなくてはならない。病む人、やむなく病気になった人は、どのようによく病むかが私たちの生き方の選択のうちで決められなければならない、そして最後に、私たちはどのように死ぬかということ、日蓮上人が言われたように、私たちは生の最後をどのように自分でレイアウトするかを選択することができるのです。
死に方の選択というのは、死によって生が切断されるのではなしに、その死に向かって成長をするのだという最後の、野球でいえば9回戦までのあり方、これが重要なのです。それがよくなければ9回で破れる。私たちは人生を千として、千のうちの九百九十九が非常によく、恵まれても、最後の一つがみじめなものであったら、その人の生涯全体は不幸なものとなってしまいます。ところが九百九十九は本当に人から理解されない、貧しく、本当に不運であった、人から裏切られたものであっても、最後の一が救われた一であるとすれば、その人の人生の全体がよいものと思える。それをシェイクスピアは「終わりよければすべてよし」といいました。どうか終わりがよくあるために、私たちは今日をどう生きるかということ、そして若いときから死があるということを考えてほしいと思います。
最後に、この絵をご覧にいれて結論といたします。
これはリンゴの絵ですが、リルケがリンゴの芯のなかに、子どもは子どもなりに小さな死をもっている。大人は大人なりに死をもっていると果実の例で説明しました。小さなリンゴには小さな種がある。大きなリンゴには大きな種がある。子どもが生まれるやいなや死ぬという遺伝子をもって生まれるのです。老化し、死ぬという遺伝子をもっているのです。死の種と共に生まれる。ですから、人間は死と共に生まれて、そして最後は生と共に死ぬ。その死のあり方を私たちはどうすればよいかということを考えると同時に、患って死ぬ人のためにも、それが私の死に近いような状況においてケアすることが望ましい。そのケアをするためには、ドクターばかりでなく、ナースやその他のチームスタッフによる全人的な医療が必要である。そういうチーム医療が日本においてもっともっと成長することを祈念して、私の講演を終わりたいと思います。
司会 日野原さん、ありがとうございました。
司会 続きましてのご講演は、上智大学文学部教授、アルフォンス・デーケンさんにお願いいたします。
デーケンさんは1932年、ドイツでお生まれになりました。ミュンヘン大学卒業後、ニューヨークのフォーダム大学で哲学博士の学位を取得され、1956年に初来日、1973年から上智大学の教壇に立たれています。大学で哲学を講じる傍ら一般市民を対象に「生と死を考えるセミナー」を主催されています。1991年、全米・死生学財団賞や、第39回菊池寛賞など、さまざまな分野からそのご功績に表彰が行なわれております。現在は、厚生省・末期医療検討会委員も務められています。