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私たちはみな結局は死んでしまうのです。ベストセラーになった童話『葉っぱのフレディ』のように、葉っぱは若芽から、新緑、そしてみずみずしい緑になり、秋になると紅葉して、風が吹けば、お召しがくればそこで散ってしまって大地に帰る。大地に帰った葉っぱの栄養と水分は再び木に吸い上げられて、次の若い芽ができるというように命が循環をする。それは人間においてもまったく同じですから、子どもに死を話すときにも『葉っぱのフレディ』を一緒に読みながら、「それは人間でも同じだ」というようにすれば、死を恐れなくて、死は自然の姿であると受け止めることができる。葉っぱが梢から離れるときに、どのように私たちはきれいな表だけではなしに裏をも見せて、良寛が歌ったように、表を見せ、裏を見せながら散るもみじのように、私たちの飾らない心、体をそのまま見せながら静かに散っていくようにしなくてはならないわけであります。

私はクリスチャンではありますが、日蓮上人が720年も前に言われた言葉に非常に感銘を受けています。日蓮はこう言われました。「まず臨終のことを習い、後に他事を習うべし」と。これは、死んでからどうなるかということをいろいろ学ぶ前に、臨終の迎え方を学ぶことのほうが大切であるということ、私たちはまずしなくてはならないことを見事に教えている。

私たちは死んでどうなるかということはなかなか難しい問題で。ボストン美術館にあるゴーギャンがタヒチで描いた絵は、「人はどこから来てどうあり、どこへ行くか」という題で、自殺を企図する前に描いた有名な絵がありますが、私たちは次の時代にはどうなるかというのは非常に難しいことではあるけれども、今私がどうあるかということ、どのように臨終まで続けられるかということをもっと私たちは考えなければならない、そのときに私たちには目指すものがなくてはならない。そういうように私は思っているわけであります。

今、日本には80余りのホスピスがありますが、日本で最初にホスピスができたのは聖隷三方原病院でした。それから約20年の間、英国からは少し遅れましたけれども、かなり充実してきました。「全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会」という団体が『ホスピスってなあに?』というパンフレットを編集・監修しました。これはNHK厚生文化事業団からの発行でありますので、皆さんはこれを入手することは簡単です。これには皆さんが正しくホスピスケアというのは何であるかというのを他の人に教えるのに非常にいい材料ではないかと思いますので、ぜひこれを参考にしていただきたいと思うわけであります。

私たちの死を考えるときには、個人の死と集団の死があります。集団の死というのは戦争による死です。集団の死というのは災害による死である。集団の死の一つは狭い宗教的な集団のカルトと言われる死もありますが、そういう例外的な死ではなくて、私たちは個人の死というものをもう一度考えなくてはならないわけであります。個人の死には病死と、あるいは死産、生まれてすぐ死ぬ、老衰死、あるいは忌むべき殺人死、飢餓による死――南アメリカ、アフリカには毎日毎日飢餓による死がたくさんあります。そして殉死ということも日本や世界の歴史にはあったわけでありますが、その場合に、私たちは「私の死」と、それから「あなたの死」と両方考えなくてはならないのです。最愛の人の死を考えることによって、私の死というものが築き上げられる。そして、できればそのあなたの周辺の友達や国籍を越えて、アフリカの不幸な人にも「あなたの死」と感じられるように、私たちはその人たちの現状を理解しなくてはならないわけであります。

 

 

 

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