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そういう意味において、日本の病院はもっとよくならなければならないと思います。アメリカは癌の患者さんは独立型のホスピスや緩和ケア病棟で亡くなるよりも在宅で亡くなるほうが多い。日本でなぜ在宅でホスピスケアができないかといえば、日本の家庭には、その人のための専用のトイレやお風呂やシャワーがないからです。これは老人のためにもいえることです。75歳以上の人のためには、飛行機には狭いトイレがついているように、その人に専属のものがなければならない。老人が不便なく、粗相をしても卑下しないですむような状態をつくることが今の日本ではできないから在宅医療が普及しないのではないでしょうか。日本の訪問看護が伸びるためには、家を改造するとか、家をもっともっとリッチにすること以外にはないと思うのです。そして癌の患者までも在宅でケアされ、いよいよ苦しい場合には、緊急にいつでも入院できるようにしなくてはならない。こういうふうに私は思っているわけでございます。

さて、私は、ホスピスということを考えるときに、ホスピスの原則というものは、患者を一つの人格体として見ることであると考えます。肺癌として肺を診るのではない、胃癌の胃を診るのではなしに、胃癌で悩んでいる、あと余命が長くない人の人格体をとらえるわけでありますから、その人格体を支えることをしなくてはならないのです。

最後が癌でなくても、すべての人に終わりがあるわけです。野球は9回戦ですが、延長戦があります。延長戦というのは救急処置をして延命をさせるというのと同じようなことですが、そういうような延長のあげくでも野球はどちらかが勝つのですが、私たちの人生はみんなが破れて、みんながだめになってしまうのです。近代医学は最後には助けることを失敗をするのです。まちがいなく失敗をする。その失敗をすることが確かであるような医学にすべてをまかせるのではなくて、病みながらも心を支えるようなケアというものが看護婦さんやチームワークでされていれば、そういう場所が家庭であっても病院であっても、それがホスピスケアであるということです。

厚生省は、緩和ケア医療に関する法律をつくったときに、これは6ヶ月以内で死ぬことが予測されている癌の末期とエイズの人のケアを全人的にする施設というように決めたときには、アメリカのホスピス連盟では、ホスピスケアというのは癌の末期やエイズの末期だけではなしに、どのような病気であってもいよいよ手がなくなって最後になったときにするケアがホスピスケアであるといってました。ですから、慢性の呼吸器不全でも、筋ジストロフィーでも何でもいいんですね。あるいは老衰でもいいんですよ。その最後に、本当に心あたたかいケアをして、安らかに死を迎えるようにしてさしあげることだと。ところが、日本では法律ができると、だいたい20年以上は変りません。建築法などは48年間変わらなかったために、木造の三階建ては東京では建てられなくて、今ごろになってやっと三階建てが建てられるようになった。ですからこういうような法律はすべて時限立法で、3年間か5年間であと改正するというようにはじめから決めたほうがいい。とくに教育と医療に関する法律はフレキシブルでなければならないと私は言っているわけであります。

 

 

 

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