永石 木場田さん。同じ死の準備教育といいますか、子どもたちへのメッセージも含めて、お願いします。
木場田 このなかで、たぶん、先生方のなかで私がいちばん若いので、「準備ですか」と思うんですけども、日野原先生のお話のように、私が皆さんを飛び越えて先に逝く可能性もありますので、今、一所懸命考えてみました。
そのなかで思いましたのは、自分が見るとか聞くといった、私の場合は患者さんや家族に接するということなんですけども、その体験の積み重ねによっていろいろ変わってまいりました。けれども、いちばん私の胸に大きくありますのは、周囲の人を大切にすることなんじゃないかなと思います。病んでいきますと体が動かなくなります。どうしても自分じゃできない部分があって、人に委ねなければならないんですけど、悔しいんですね、自分が許せなかったりとか、私もちょっと病気をしたことがありますので、自分で自分のことができないという腹立たしさというのはそのときかなり痛感いたしました。そういったなかで、自分のいやな面も見るんですね、自分が許せない自分とか、ひとに当たってしまう自分とか、でも、そういったものすべてひっくるめてありのままに私を受け止めてくれる人、それは友人であったり家族であったりするかもしれませんけども、そういう人がそばにいてくれるということは、すごく私にとって支えだと思います。
それを考えると、やはり今のうちからまわりは大切にしないとなあというふうに思いますけども(笑)、いつもいつも心やさしくまわりに接しているとは言えませんので(笑)、心がけていきたいと思っているところです。
でも、このことは自分の体験からだけではなく、やはり多くの方の看取りなど接してきたうえで、今の私が考えていることかなと思います。
永石 ありがとうございました。
堂園さん、いかがでしょう。
堂園 まあ私、本を書きまして、そのなかに「人は生きたように死んでいく」というふうに、自分がたくさんの患者さんを看取ってそう思ったんですけども、おうちに帰りたいという患者さんがいらっしゃいます。でも家族が反対する。それはその患者さんがご家族の方にあまり愛されてない。愛されてないのはその方がご家族の方にやさしくしてない、その結果としてそういうふうになってきている。で、ホスピスに入るからといって幸せな死が迎えられるわけではなくて、やはり人を騙さないとか、今、木場田さんがおっしゃるように、人を大切にするとか、そういう結果が結局、自分が死の床についたときに孤独を癒してくれる人がそばにいてくれるというふうに思っております。