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遠藤 これはシュタイナーのことばで、皆さんもよくご存じだと思うんです。ですけど、私は、今、80まで生きることが不思議でなくなりました。それで20、30、40、50ときて、こんど50、60、70、80とくると、ちょうど50はターニングポイントなんですね。そのへんで皆さん、だいたい退職後にどういうふうに暮らしていくかということをお考えになるんだと思います。それは毎日毎日食べることですから、そのことについて真剣に考えることはもちろんあたりまえでちっとも不思議じゃないんですけども、50ぐらいのときに、やはり今までの暮らし方を振り返って、さっきもお話が出ましたけど、死というのは誰にでも来ることなんで、死に対する準備というのを50ぐらいのときにしっかりと考えて、自分はどういう死を迎えたいのか、どういうふうに死にたいのかということを考えるということは、やはり今日のテーマではありませんけど、死ぬことを考えることがいかに生きるかということを考えることだと思いますので、そのへんでそういうふうなことを考えてほしいんですね。

それで、私は主人が死の床につくようになりましてから、それまで二人で意識しないでやってきた夫婦の積み重ねというのが、どんなに片一方が死の床についたときにどんなに力をもっているかということを本当に痛感しました。それで私が最後まで3年半、ほとんど3時間ぐらいしか寝なかったんですが、夜間透析をやってましたからね、ほとんど細切れに、ここで10分、ここで20分というふうに寝て三時間半ぐらいしか睡眠が取れないのが3年半続きまして、それでもがんばれたのは、やはりそこへくるまでの主人のほうからのとても誠意のある、愛のある積み重ねがそこまであったためだと思うんです。ですから、まだ50代だったらその積み重ねをチェックして、もう一回、その夫婦の積み重ねをよくやることができる時ですから、ぜひ50ぐらいのときに死の準備をしていただきたいと思うんですね。それで片一方がもう死の床についてから、さあこれから積み重ねをしましょうたって、それはもう無理なんです。もうそのときには相手のあるがままの状態を受け入れることしかできない。ですから、それまでに死の準備というのをやはりなさるほうがいいと思うんですけど。今、息子ももうそろそろ50ですけどね、そんなこと言ったって、人生80というのが頭にあるもんで、まだ30年も先だと思ってるんですね。でも、さっきもおっしゃったけど、ぜんぶの人が80まで生きられるわけじゃないんです。いきなり死が目の前にきてあわててしまっているということが多くて、それがやはりお医者さまに自分がどういうふうに死にたいかということを伝えない一つの原因でもあると、丸投げにお医者さまにまかせてしまう一つの原因でもあると思います。

 

 

 

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