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永石 ありがとうございます。

今、堂園さんから出ましたホスピスについては、この後で意見を交わしていきたいと思います。

今、おうかがいました生と死という問題は、なかなか難かしい問題がありまして、一般論では語りにくいものがあります。そうしたなかで、私もその一人ではありますけども、身近な人の死の体験ということが一つ、重要な要素ではないかなというふうに思います。遠藤さんは、93年からご主人の周作さん、私ども読者からいえば狐狸庵先生を、腎臓と肝臓の病気で3年半、入院生活をずっと看病されて、最後は病院で亡くなられたわけですけども、そのときの様子を『夫の宿題』というかたちで去年、出版されています。そうしたご主人を亡くされたときの経験、看護の経験などを含めて、病院とか、一般の方に何かご提言とか、質問とか、そういうものというのはございませんでしょうか。

 

遠藤 さっき、主人が望んでいた心あたたかい医療とはかけ離れた3年半だったということを申し上げましたけども、主人は薬害とか、それから緊急治療室というんですか、ICUで院内感染をしたとか、誤診をされたとか、いろんなもう本当に主人が望まなかったようなことばっかりが、「これでもか、これでもか」というようにきて過ごしたような3年半だったと思います。それで、結局、最後には亡くなったんですが、人間の死というものには、患者本人の考え、それから家族の考え、それから第三者であるお医者さまの考え、3つの視点があると思うんですね。

それで、本人は、たいていの人は「自分は安らかに死にたい」と思っていると思います。それから家族も「何とか安らかに、どうせ助からないなら少しでも安楽に死なせたい」と思っていると思うんです。ですけど、今の医療現場においては、一人称、二人称の死というものはほとんど無視されつづけて、第三者であるお医者さまの考える正義、お医者さまが考えるクォリティ・オブ・ライフというのが最後までまかり通っている、そういう感じがいたしました。

それで、実際に、今、病死する人のなかで病院で死ぬ人が95%だそうです。それで1950年には11.3%、1970年においてもまだ37.4%の人が病院で死んだそうですから、今は本当に病院で死ぬ人が異常に多いんですね。で、患者のほうにもいろいろ問題があって、なんか病院に行けば傷病病苦はぜんぶ解決してもらえるような錯覚をもっていると思うんです。

 

 

 

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