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私は、今、ホスピスで働いていますけど、いつもいつもしかめっ面をして、生とか死とかを難かしく考えて働いているわけではありません。また、生と死を分けて考える必要もないように思います。それは、私が生とか死というものを自然の流れの一つ、死というものを一つの門出としてとらえているからではないかなと、今は思っています。

死を語るということは、患者さんや家族と、またスタッフと、多々ありますけれども、そういったお話をしているときに、今、自分が生きているということを実感しているように思います。

 

永石 ありがとうございました。

同じ生と死の問題について、堂園さん、いかがでしょう。

 

堂園 今、木場田さんもおっしゃいましたけども、ターミナルとかホスピスとか考えますと、非常に暗いというふうにイメージとしてありますけども、実際、亡くなる前の患者さんをご家族の方といっしょにケアしますと、いつも笑いがあります、泣き笑いといったらよろしいでしょうか。たとえば便が出て喜んで笑い声が出るとか、そうですねえ、割合といえば、意外と笑いのほうが多いかもしれないです。で、その笑いの部分というのは、先ほどデーケン先生もお話しされましたけども、特別として見ないということかもしれないと思います。

そして、私の尊敬する方が、「もっとも聖なる場所はもっとも俗なる場所に近し」と言いましたけども、ターミナルとかだと、何となく聖なる場所というふうに考えますけども、そうじゃなくて、日常的な場所、私たちは日常性が最後まで保てるように提供しているというふうに考えています。

で、医療におきましては、私、『ブラック・ジャック』がすごく好きでして、『ブラック・ジャック』のなかにキリコという安楽死をする人間がおりますが、苦痛があったときに死でその苦痛を取り除こうとするキリコ型のターミナルと、ブラック・ジャック型のターミナルというと、何とかその苦痛を取り除こうと、それは医学的には痛みでありますし、文化的にはその人の文化性を保とうとか、最後まで仕事をさせてあげようとか、そういう積極的なケアというものが、ターミナルではとても重要なことだと思います。

で、生と死ということに関して、今、木場田さんもおっしゃいましたけれども、私も大上段に生と死というものを深く考えて患者さんに接するよりも、その患者さんらしさをいかにサポートしていくかということがその人の生と死を考えるいちばん重要な点ではないかと思います。

 

 

 

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