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永石 ありがとうございました。

遠藤さん、引き続きまして、お願いいたします。

 

遠藤 現場にいらっしゃる方のお二人のお話を聞きまして、私は患者を代表するというような立場になったと思います。

長崎というのは主人にとっは第二のふるさとみたいな気持ちでおりましたところでございまして、そこで生と死を考える会というのが立ち上がるということをお聞きし、その記念すべきときに参加させていただいたことを、たいへん光栄に思っております。

主人は1982年に「心あたたかい医療運動」というのを提唱しました。それでその運動の終極の目的は何かというと、心安らかに死にたい、心安らかに家族を送りたいということだったと思うんです。でも、実際に最後の3年半の病院生活では、本当に主人が考えていたような心あたたかい医療とはおよそ程遠い現場のいろんなことにぶつかりました。それで3年半、主人といっしょにぶつかった医療現場のいろんな現場を書くことで、これから終末を迎える患者さんたちが少しでもよりよい医療を受けられたら、主人は「自分は苦しんで死んだけど、それでよかった」と、たぶん喜んでくれるだろうと思いました。

それで去年、出版した本に、その実態を書いたんですが、そうしたら 120通のお手紙が来ました。ほとんどその98%は、ターミナル医療に関することでした。それで「私の夫は10年前に死にましたけど」という書き出しで書いてくるようなお手紙がたくさんありまして、当然のことですが、病院との出会いが悪くて、自分の愛する家族がひどいめにあって、さんざん苦しんで病院で死んだというような場合には、なかなかその遺族は癒されないんですね。それで、私は、自分でそういうことを書いて、もう宿題は終わったつもりでいたんですけど、これは大変なことだと思いましてね、これからも主人の「心あたたかい医療」というのを引き継いでいくことで、愛する人を亡くしたあと、いつまでも後悔から立ち直れない遺族というのがいるんですね。「あの病院にやらなければよかった」「医者の言うことを丸飲みにして、あの手術をさせなければよかった」という自責の念だけ。そういうところから少しでも早く立ち直ってくださるお手伝いができればと思って、「心あたたかい医療」ということを引き継ぐ決心をいたしました。

 

永石 ありがとうございました。

デーケン先生、今、鹿児島で、熊本で、そして東京で、それぞれのことをきっかけにしていろんなことをやられていますけども、そういうのをお聞きになりまして、全国いろいろなところに行かれていまして、ご感想を、その他の地方での様子も含めて、どういうことをお感じになったのか、一言お願いできますでしょうか。

 

 

 

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