日本財団 図書館


原爆では、長崎でも大勢亡くなられたわけでありますが、トルコでも大変なことが起こっている。日本からも救急隊や救援隊がまいりました。こういうような災害が未然に防げるような科学の進歩をもっと日本は図らなくてはならないけれども、しかし起こってしまった天災に対しては、これを救済するしかないわけです。しかし、天災で亡くなる人に比べるとはるかに多くの人があの第二次世界大戦で亡くなった。1500万人というような東京都の人口以上の兵士が第二次世界大戦で亡くなり、そして、その2倍半の3500万人の市民が戦争で亡くなっている。あのユダヤ人の大虐殺に関わったナチスのアウシュビッツにおける大惨事については、フランクルという人が詳しく報告しておりますが、その数はじつに 400万人といわれている。戦争というものは人間を鬼にしてしまう、狂人にしてしまうのですね。どうすれば戦争を防ぐことができるかということは、世界中の住民が他人のことを配慮することが習慣的にできるような、そういう人間の訓練がされなくてはならない。1人の死も無駄にしない、それぞれが大切な死として考えるという思いをもたなくてはならないということです。

そういうふうに考えると、長崎で原爆に遭われた皆さんは苦難を受けられました。しかし、苦難を受けるということは、その人の苦しみがわかってくるということでもあります。私も1年間、結核で療養しましたから、1年も半年も療養している患者さんの回診をするときに、手を握り、肩の上に手を置いて、「よくあなたは耐えておられますね」と心からいたわりの気持ちをもつことができます。そういうふうに私が手を差しのべることができるのは、私が1年間、しかも8カ月はトイレに行くことができない、38度の熱が続いた、寝たきりであった、母は4時間ごとに湿布をしてくれた、大変な介護をしてくれたというような経験をもっているからであります。

つまり、病むことによって私たちは成長するのです。私はその頃は医学部の負けず嫌いの青年であって、もう何でもトップを走りたいような野心をもっておりました。ところが、病気で大学の時に挫折して、そうして1年遅れて、「もうこれはどうしようもないな」というヤケになったりもしました。同級生から1年遅れたから、これでは教授にはなれない。そういう絶望的な気持ちになっておりましたけれども、卒業して10年、20年するうちに、「私は1年を失ったのではなくて、病を体験したからこそ、私は患者さんの悩み、苦しみ、痛みがわかるという貴重な体験をした」と思えるようになった。これは宗教的に表現すると「神の恩寵」といいます。そのときには損をした、運が悪かったと思うけれども、後になって医師になるためには、しかも臨床医になるためには、病むという体験なしには臨床のエッセンスを体得することはできないということを感じたわけです。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION