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私たちは死ぬということはそれで終わりではないのです。皆さん、「ターミナルケア」ということばをご存じでしょう、「終末医療」と申します。終末医療というのは、いよいよ終わりになる、映画にしますと最後に「The end」というのが出ますね、これが終わりだと。ところが、ターミナルということばは外国に行くとそういう意味ばかりではないのです。ターミナルというのは終末も含みますが、そうでない場合も多い。私がスウェーデンに出張して帰りに、英国のロンドン経由で帰ったのですが、ヒースロー空港に行ったときに、「日本にこれから帰るお客さんは第三ゲートのターミナルにバスで移送しますから、そちらに動いてください」という。つまり第三ゲートのターミナルというのは出発のターミナルです。ターミナルのケアというのは、その人生が終わってしまうのではなしに、その人の第2の人生がそこで始まろうとしているところだというふうに解釈をすると、ターミナルという言葉は決して暗いものではないわけです。

そういう意味において、私たちの死は単なる生の終わりではないんだということから、そうして私たちの愛する人が亡くなるときに、その彼、あるいは彼女の死を通して、この方は私の代わりに死んでくれるのではないかという気持ちをもつ。言い換えると、死んでいく人々のケアをする、今日、ここには看護婦さんや介護士の人も、あるいは特別養護老人ホームの人もかなりみえておられますが、そういうところで毎月亡くなっていく人があるときに、ケアをする人が「私の代わりに亡くなってしまうんだ」というふうな気持ちをもつと、その死が無駄ではなくなってくるわけですね。

私は看護婦教育をずい分長くやり、聖路加看護大学の現職の学長を24年間やって、去年、それをやめましたけれども、若い看護婦さんに言うことは、「あなたが老人のケアをするように、あなたもされる日が遠からず来ますよ」と。あなたが今、老人のケアをしている。しかし、そのケアをこんどあなたがされるんだと。そう思うと自分のおかあさんのケアをしているような、愛する人をケアしているような気持ちになって、もっといいケアをやりたいという気持ちになってくるにちがいない、そういうふうに私は教育をしてきたわけでございます。

さて、先ほど、トルコの地震の話をしましたが、トルコでこんど亡くなったのは断層のあるトルコの北方ではなくて、今までは地震がないと思われていたような西部にこれが起こったと報じられています。これはちょうど阪神で、神戸などには地震はないと言われたのと同じようなことが起こっている。まったく突然のことで、最終的には死者は4万人に達するであろうと国連当局者は語っている。これはたいへんな死亡者です。

 

 

 

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