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極小モデル試験、VIVについてMARINから書面討論があった。

本委員会の中心課題の一つであった深海係留の実験法については文献がなく課題が将来に残された。特に重要な潮流の鉛直分布の実地調査と水槽での再現法と、DPSと係留との併用については、本委員会と関連深い次期特設委員会であるStationary Floating Systemsの宿題である。Stationary Floating SystemsにはK. Hirata、L. Cruduそして木下が委員長として残り、B. Colboume (カナダ)、J. A. Pinkster (オランダ)、J. M. Yang (中国)、M. K. Ha (韓国)、K. Thiagarajan (オーストラリア)が委員に決まった。

 

4 ソシアルアクティビティー

前田久明(東大)

 

ソシアルアクティビティーの目的は、主催国の文化に触れ、参加者同士の懇親を深めるところにある。会議を成功させるには、技術面のみならず、レセプション、バンケット、同伴者のもてなしなどのソフト面が評価基準の重要な部分を占めている。技術会議の内容が格調高く、進行がスムーズに行って当たり前と思われているので、いきおい会議の善し悪しは、ソシアルアクティビティーの善し悪しで決まってしまうことになる。

今回は会議が、韓国、中国の2国にまたがって行われたが、このような例は1933年にITTCがはじめられて以来、3回目とのことであった。異なる国の文化に接することができて、参加者にとり大変有意義であった。同じ東洋の兄弟国とはいえ、社会情勢、経済情勢が異なる点とか、国民性の違いにも接することができ、さらに、レセプション、バンケット、レディースプログラムがそれぞれ2セット用意され、一度に2回分の会議を経験した感じで、まことにコストパフォーマンスの高い会議であった。その分、主催者の両国の責任者のご苦労がしのばれ、深甚の謝意を感じるところである。両国の用意されたソシアルアクティビティーの善し悪しを比較することは、外交上もできないし、客観性を維持することは不可能であるので、ここではそれぞれの国で筆者が感じたことを述べる。

韓国の主催者は、国際会議の開催に多数経験をつんでいるので、ソシアルアクティビティーも手慣れていた。韓国からの参加者も、同伴者も、欧米での生活経験者が多いせいか、英語が堪能で、欧米流の文化保持者には安心感を与えていたようである。レセプション、バンケットはソウル市内の中心にある超一流ホテルであるロッテホテルで行われた。初日夕方のレセプションは、ブッフェ形式とはいえ全員分席が用意されており、洋、中、和、韓の料理が潤沢に用意され、欧米の飲物とおつまみだけの簡素なレセプションとは大いに異なった。Hwangソウル大学名誉教授の乾杯で宴が始まった。第3日目の夕方のバンケットは、韓定食で、松茸の初物が出ていたので、日本人は感激していた。C. M. Lee議長の挨拶に続いて、元良先生が祝辞を述べられた。食後の余興では、韓国民族楽器による楽団演奏を楽しんだ。これまでの韓国での国際会議では、綺麗な扇子を持った美女による、韓国民族舞踊が多かったが、今回の趣向の変更は、韓国側主催者の配慮が感じられ好ましかった。

レディースプログラムは2回あり、第2日目は利川の窯元での焼物工芸の見学と実技習得であり、第3日目は秘苑と国立博物館の見学ならびに楽しい買い物であった。日本からの参加者は、元良、田村、江田、村上、加藤、藤野、姫野、小瀬、貴島、野沢、前田の各夫人と中武令嬢であり、全体のご夫人の5分の1を占める最大勢力であった。会議参加者数も日本は全体の5分の1を占めており、ITTCに対する日本の貢献度は飛びぬけている。それに対する正当な評価を受けているかは大いに議論する必要がある。IMO、国連の分担金にも同様のことがいえる。ところで会議場での毎回の昼食は専用の部屋が用意され、メニューは初日のレセプションの時とまったくといっていいほど同じで、毎回ローストビーフのスタンドが立つ豪華さであったが、日替わりにしてくれるとありがたいという賛沢な悩みがわいたのが実感である。朝食は各自とっていたが、会議場に用意されたビスケットとコーヒーで済ませている人もみかけた。

第4日目午前にソウルから上海に移動した。韓国のアシアナ航空のジャンボ747-400を280席確保しての団体移動であった。ITTC専用のチェックインカウンターを3カ所用意してあったが、全員のチェックイン終了に1時間30分以上を要したため、ブーイング寸前というところであった。一人一人の中国入国ビザの確認を行っていたため、通常のチェックインより大幅に時間を要していたようである。韓国側主催者は平身低頭していた。阪大長谷川教授はここで、前にとっていた数次ビザが通用しないことが判明して結局1日遅れての到着となった。その都度ビザを取り直す必要があるなら、「数次」が意味をなさないことになるので、なんとも理解に苦しむことである。

 

 

 

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