1970年にはGBRの中央部に位置するタウンズビルに、さらに1970年代中ごろにはGBRの最南部に達した(Pearson & Garrett 1976, 1978, Kenchington 1976)。1977年には、最南端のサンゴ礁を除いて、GBRのほとんどの地域からオニヒトデの高密度集団が消滅した。この間、グリーン島を除いて、ほとんど駆除は行われなかった。
しかし、オニヒトデの姿を見なくなって安心するものつかの間、1979年に再びグリーン島にオニヒトデ集団が観察された。前回と同様に、オニヒトデの“波”は南北両方向に広がり、1983年にはタウンズビルに達し、1991年に終息した(Reichelt, Bradbury & Moran1990)。
さらに、オーストラリア以外では、グアム(Chesher 1969)、マイクロネシア(Wass 1973),ハワイ(Branham et al. 1971)ニューギニア(Endean 1969*, Quinn & Kojis 1987)、ソロモン諸島(Vine 1970*)、フィジー(Vine 1970*)、紅海(Campbell & Ormondなどインド・太平洋ではサンゴ礁のあるところとのほとんどの地域からオニヒトデの大量発生が報告されてきた。これらの地域の多くでは、オニヒトデの大量発生は一旦終息したのち、再び勢力を吹きかえす傾向を示している。
(4) 駆除すべきかどうかについての議論
オニヒトデが大量に発生し、サンゴを食害していることが世界各地で報告され、多くの人々に衝撃を与えた。オニヒトデ問題はサンゴ礁を責重な財産と考える人々に感情的な反応をも引き起こした(Kenchington 1987, 山口 1987)。例えば、GBRでは、Chesher(1970)は、オニヒトデの大量発生は自然現象ではなくサンゴ礁に多大な影響を及ぼすであろうから早急に駆除を行うべきであると主張した。そうしなければ、観光や水産業に打撃を与え、天然の防波堤としてのサンゴ礁も崩壊すると考えた。Endean(1971)、O'Gower Bennett and McMichael(1972)もその意見を支持した。一方、Newman(1970)は、この見方に反対した。オニヒトデの大量発生は自然現象であるから干渉はすべきではないと考え、短絡的な駆除を行うのは好ましくないとした。オニヒトデは例えば成長の速い種のサンゴを選択的に食べることにより、成長の遅いサンゴ種がサンゴ群集に加入するのを可能にし、種多様性を保つのにも一役買っているとした。GBRMPAはその意見を採り、基本的には駆除を行わないことにした。しかし、この決定はサンゴ礁の保護を訴える各方面から多大な不評を買った(Kenchington & Kelleher 1992)。この辺の、駆除推進派と反対派との関係は、Sapp(1999)が詳しく記録している。
一方、沖縄では、オニヒトデの大量発生が自然現象であるかどうか、あるいは、駆除すべきかどうかについての議論はほとんど記録が残っていない。議論を経ることもなく、水産業に対する脅威として、あるいは、海中景観をまもるため、駆除が実施された。現在も、新聞報道では、オニヒトデには「海のギャング」という枕詞がつき、記事はほとんどがその「撲滅」のための「駆除」についてである。冷静な科学的知見に基づいてオニヒトデ問題に対処する必要がある。