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しかし、それまで動物や、まして人の死に接する機会が殆ど無く、実感を漠然としか感じられない私は、希薄な死生観しか持っていなかった。父の死を経験しただけで、死を理解した気になっていた。半年に亘って行ってきた解剖学実習を経て、最後に御遺体を棺に御納めするとき、そう思った。

棺の中には数冊の本が収めてあった。その中に、御遺体の生前通っていたと思われる大学の、医学部の同窓会名簿があった。このとき初めて私はこの御遺体が生前医師であったのだと知った。私は、この御遺体と私の父の姿がオーバーラップして見えた。この方もやはり医師でありながら、その強靭な精神力や独自の死生観によって死に立ち向かっていたのだなぁと思うと、父を亡くしたあのころの自分が抱いた気持ちが強く蘇ってきた。また、更に献体なさっていることに対しても感慨深かった。この方は職業に医師を選び、逝かれた後は献体なさっている。一生、更にその後まで医学に貢献なさっている、この方の医学に対する熱い姿勢が少しわかった気がした。

この解剖学の実習は、私達医学生達にとって無くてはならないものである。それは人体の構造を理解するために卓上の知識だけではなく、より具体的な知識をえるため、またより実践的な経験を積むために必要なことである。実習を行うまでの私はそう思っていた。しかし実習を終えた今、それは少々違うということに気づいた。

 

 

 

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