未熟な我々医学部生のために献体をしてくださるという決断には並々ならぬ決意があったことと思われます。それを思い返すたびに、我々に対する期待に応えなければと自らの勉強を反省し喝を入れ直す日々でした。解剖学実習からは数え切れないことを御遺体から学ばせていただきました。まさしく御遺体が我々の先生だったのです。筋肉とはどのようなものであり、どう動くからあの複雑な動作が生まれるのか、それを神経がどこからどこまで走行し、どの筋冊を支配して動かしているのか、動脈がどう枝分かれしてどの筋肉を栄養しているのか。教科書で読んで理解するのとは違った角度から、まさに目からうろこが落ちるかのごとく簡潔にわかりやすく我々に示してくださいました。実際に作業していく過程で、どれほどの深さに他の構造物とどのような位置関係で存在するのかということが文字どおり体で知ることができました。これは講義や教科書による学習では決して代用することのできない、貴重な体験だったと思います。また御遺体からは別なことも学ばせていただいたように思います。解剖するのはつい最近まで生きておられた人であるのだと思うと、手を解剖する時は手が、足を解剖する時は足が痛みます。それは言い換えれば他人の痛みがわかるということにつながっていくのかもしれません。そして普段生活している中ではつい避けて通りがちな死ということについても、御遺体を前にしていると考えさせられました。死が少し身近に感じられると言えば語弊があるかもしれませんが、言い換えますと医師になれば死というものは常に直面しなければいけないことなのであると暗に教えられたような気がします。